知事からのメッセージ 平成20年7月 日本はすばらしい国だ

知事からのメッセージを紹介します。

平成20年7月のメッセージ

平成20年7月1日

「日本はすばらしい国だ」

 今年から高校生諸君を対象に『きらめき夢トーク』という催しを行っています。和歌山の子どもは大都会の子どもより恵まれているところもあるが、刺激に欠けるところもあるという点をカバーするために、テレビに出てくるような各界の達人と「なま」で話し合ってみようという試みです。6月14日には和歌山市で、本県出身、財務省国際畑の第一人者で、現外務省欧州局審議官の本田悦朗さんに話してもらいました。聞いていて涙が出るようなお話でしたし、志願して集まった高校生諸君も感激の態でしたが、その中で本田さんが伝えたかったことは、日本はすばらしい国だ、外国人からは本当に尊敬されている、それは、これまで日本人一人ひとりが体を張って立派な生き方をして、世界に貢献してきたからだということだったと思います。そして高校生諸君には、自分を超える何かのために尽くすという気持ちで頑張ることで、自分も成長し、自分の家族、郷土、国家もまた光を増すことができるというメッセージを出してくれました。
 私もブルネイという国の大使をしていて本当にそう思いました。ブルネイは小さい国です。それでも国であるからには、国際社会の中で認められたいと考えて必死です。そのブルネイに日本はずっと尽くしてきたと思います。今はもうブルネイがお金持ちになりすぎて使えませんが、経済協力の一環として、多くのJICA(国際協力機構)の人が、ブルネイに様々な技術協力を行うために来られて、一生懸命頑張ってブルネイのために尽くしました。多くのブルネイの人々が今でもJICAの人は本当にすばらしかったと言います。また、三菱商事株式会社やそのコントラクター(契約者)の大勢の日本企業が来てブルネイのLNG産業を育て、約束を守る日本企業の評価とともに、ブルネイの今日の繁栄を確立しました。色々な事情でブルネイに住むことになった日本人の多くは、誠実に、立派な人生を送ってブルネイの人々に尊敬されています。今また多くの日本人が観光客として訪れ、日本の近隣諸国からの観光客がお行儀の悪さと尊大な態度で時々ひんしゅくを買っているのと対比して、ブルネイの人々からも、同じく西洋からの旅行者などからも好意の目で見られています。それらすべてが、日本はすばらしい国だという尊敬のもとになっていると思います。
 このような立派な日本人と比べると、少々輝きが少ないかもしれないが、日本外交も他の国々には中々真似のできないことを営々とやり続けてきました。かくも長く、そして他の国よりもはるかに経済協力を続けてきたのは、紛れもなく日本ですし、平和外交をかたくなに続け武力による威圧なしに粘り強い外交を続けてきた日本、文句なしにアジアの国々から好意の念を持って見られています。また、みすみすビジネスチャンスを放棄して武器輸出を自粛してきた日本のような国は世界中にありません。                     
 私が在任中、中国の胡錦涛国家主席がブルネイを訪問しました。その歓迎の宮中晩餐会で胡錦涛さんは「中国とブルネイは実に仲良く色々と協力している。これは大国と小国の協力の良いモデルだ」と言いました。私は飛び上がるほどびっくりしました。小国ブルネイの人々の切ない気持ちもコンプレックスも知っている日本人は、小国の人を相手に絶対にこういう言葉を出しません。また、そうずっと注意して心配りをし、どんな国の人をも見下したりしてこなかったからこそ、本田さんが言う、尊敬され、好かれる日本があるというべきでしょう。
 一度も日本のために体を張ったことがない人々が、バラエティー番組などで日本をけなす自虐的なことを言って受けを取っている中で、本田さんの言葉は、ずっと体を張り続けてきた人の言葉だけに、高校生の胸にも響いたのではないでしょうか。
 ただ一つ、大使をしていて私がつらかったのは、日本が怖くない国だということです。例えば中国は、ついこの前まではブルネイを始めアジアの国々には、紛れもない脅威でした。それが微笑み外交に転じてくれているのはそれだけで有り難いし、この幸せを失いたくないために多少の無理でも聞かざるを得ない、そういう面は否定できない現実です。その中で怖くない日本が怖い国と同じような敬意を払ってもらうには、日本は他の国の何倍もの努力をしていかなければならないでしょう。これは独り日本外交のみに言えることでなく、日本のビジネスにも、そして日本人一人ひとりの行動にも言えることだと思います。

 本田さんは、自分を超える何かのために尽くすということの中で、自分を超えるものとして国家の他に家族や郷土も挙げていました。我々が外国との関係を考えた時、このすばらしい日本を守るために頑張らなければならないように、我々のこのすばらしい郷土をさらにすばらしいものにするために、我々はまた頑張らなければなりません。
 多くの人々が本田さんのように、それこそ体を張って頑張ってきたから、今日の和歌山があると思います。和歌山出身の人々で頑張って尊敬を集めている人々がいるから、それがどれだけ和歌山の評価を高めているか分かりません。
 そして、我々はバラエティー番組で得意気に日本の悪口を言って人気を得ている人のように、ふるさとについて自虐的になってはいけないと思います。日本人が戦後ずっと誠実に頑張って今の声価を得たように、和歌山県人も自虐的になっていないで、しらけていないで、誠実にひたむきに頑張らないといけないと思います。それが、資本も人口もそんなになくて、いわば“怖くない”和歌山が何とか生き延びていく生命線であると私は思います。
 和歌山のためにも、皆で誠実に頑張りましょう。

 最後に、本田さんのお話で一つのエピソードを紹介しましょう。本田さんがニューヨークの総領事館に勤務していた頃、『9.11事件』が起きて、それこそ尊敬される日本人として国際金融の第一線で働いていた人が大勢亡くなりました。あの灼熱の火災の中で犠牲者の遺体は、跡形もなく燃えてしまって到底発見されません。遺族の方は、せめて世界貿易センタービルのあった地の土でも持ち帰りたいと、誰からともなく言い出したのです。土は米国当局の好意で採取することができました。しかしそこで、日本の検疫に引っ掛かることが分かりました。日本にない土の病気の菌や害虫が入っているかもしれないから、消毒していない土は輸入できないそうです。ウンウン言って悩んでいる官僚諸君と悲嘆にくれている遺族を前に本田さんは言ったそうです。「法律はすべて理由があって作られている。今回遺族が持ち帰られる土は故人を偲ぶために仏壇にお供えされるものだろう。それならば、畑の害虫や病気の心配のために作られている法律の許可がどうのこうのなど考えなくていいではないか。どうぞ自由に土を持ち帰ってください。そして、どこかで何か問題になったとしたら、責任は自分が取る。本田が持ち帰れと言ったと係官に言ってください」と。
 固く見える法律も規則もまたその理由があります。その「心」を知って運用するのもまた人間であります。

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