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知事からのメッセージ

知事からのメッセージを紹介します。

平成20年6月のメッセージ

平成20年6月1日

「評論家の視点、責任者の視点」

 かつて私は中国の指導者のブレーンをしている人と話をしていて大いに驚きました。その指導者は重要な政策を立案する時、内部部局に加えて、2、3のブレーンに政策の立案を競争させて一番良い政策を採用するというのです。その時ブレーンは、立案した政策について、その政策によってもたらされる良い効果のみならず、悪影響も指摘し、それらをすべて評価し、悪影響の除去策なども含めて総合的な政策立案を要求されるそうです。
 私が聞いた例は、中国がWTO(世界貿易機関)に加盟するか否かという政策選択です。加盟すれば、自由貿易のメリットを中国も得ることができます。有望な産業はこのメリットで世界市場に進出したり、世界中から自らに必要な優秀なパーツなどを輸入して、どんどん業績を伸ばすことができます。しかし、国際競争力のない産業は、WTOのルールでそうそう無茶な保護は続けられませんので、輸入品との厳しい競争にさらされて打撃を受けます。いいことばかりではありません。政策を決定するということは、いいことと悪いことの両方を評価し、悪いことへの対応策も考えた上で総合的にどうするかを決めることです。この時中国では、小麦や綿花が壊滅的打撃を受けると予測していました。しかし、それでも一等国になるためには、自由貿易による市場メカニズムによって、中国のいくつかの産業を世界一にして、壊滅した産業からの失業者を吸収した方が得だという判断をしたようです。
 こういう判断をした指導者も中々すごいと思いますが、指導者に対していいことも悪いことも総合的な分析と対応を進言できるブレーンを持っている中国は、中々のものだと思います。
 日本ではどうでしょう。何十年にもわたって、こういう総合的な政策パッケージの原案作りは、政府、それも官僚組織が担ってきました。ところがどうも最近は、官僚の方も少々政策提言能力にかげりが見え始めました。おまけに少なからざる人が汚職などをすることもあり、また、その方がかっこいいと考える政治家やマスコミが、官僚バッシングをするものだから余計、官僚が萎縮しているように見えます。積極的に政策を考えて材料提供をし、政治トップに進言をしようとする人々もいるようですが、それらがことごとく、僭越だということで官僚バッシングの対象になるので余計、役人さんは萎縮します。私は役人はどんどん政策を提言すれば良いと思うので、これを採用するか否かの決定は行政府だと大臣や知事、市町村長がするのだから、役人さんは何ら遠慮することはないと思うのです。ところが、たまにはそれを採用した政治トップが、それがうまくいかないと見るやひょいと体をかわして、政策提言をした部下の役人に責任を押しつけて、それをマスコミがおもしろおかしく取り上げるものだから、役人は益々消極的になり、能動的に政策を考えなくなります。
 今の形の官僚バッシングが始まった事件を覚えています。昔、細川さんという首相がいて、斉藤次郎さんという実力派の大蔵省事務次官がいました。斉藤さんは細川さんに財政の見通しをレクチャーし、消費税の大幅アップを進言しました。細川さんはこれを採用して、劇的なタイミングで発表してしまいましたが、その後の世論の反対の大きさにひるんだのかこれを撤回しました。世論は「こんな案を出した斉藤さんはけしからん」と大いにバッシングしましたが、これはおかしいと思うのです。なぜならば、斉藤さんは案を出しただけで、政策案を採用したのは責任者である細川さんです。たたかれる人がいるとすれば100%それは細川さんでしょう。しかし、細川さんは斉藤さんをかばわなかった。この辺から今の形の官僚たたきが始まったと思います。役人は、怖くてまたはあほらしくて、積極的な政策提言をしなくなります。ただの指示待ち人間になっていきます。
 私は、こうなって働かなくなった役人をこそバッシングすべきであって、こういう指示待ち人間こそ税金泥棒だと思うのです。役人が政策提言意欲を失ってはいけないと思います。

 このように役人が政策提言能力を失った時、日本にこれに代わるものがあるでしょうか。いわゆる有識者と呼ばれる人々はどうでしょう。日本のいわゆる有識者は、審議会などに呼ばれてその人なりの論評、提言を要求されますが、提言に係る副作用とそれへの対策など総合的な解を求められるわけではありません。これら意見を取り入れて政策パッケージを示すのは当局ということに相場が決まっています。また、テレビを見ていると評論家という人たちが出てきます。そしてある事柄について大変賢そうに発言をするのですが、大体は問題点の指摘とあらまほしき方向を示すだけです。そして「何々は大事な問題なので議論を深めなければ」とか「じっくり考えるべきです」とかで終わるわけです。一見かっこいいのですが、これだけで問題は解決しません。それでは、そのあらまほしき方向は本当に実現できるのか、しようとすると何が必要か、えらい副作用が出てこないか、出てくるとするとどうしてそれを緩和するか、実際の行政にはこういうことがごまんと出てきて、これをすべて解決していかなければならないのです。具体的対応等を考え、副作用も分析し、その解も含め総合的な政策を呈示して、責任を持ってそれを説明せねばいけないのです。そうすると世の中の評論家的風潮の中ですぐに批判にさらされます。それでも行政は自分が評論家になってはいけません。県庁としては、批判に耐えるような建設的な具体策を県民に呈示していかなければなりません。

 そのためには、県官僚である職員には、先ほど述べたように、総合的な政策の原案を積極的に提言してもらいたいと思います。新しく導入した新政策の検討の場などで、皆でまたこれをたたいて、さらにしっかりしたものにして、最終的にはトップである私が採否を判断して、県民の皆さんに呈示していきたいものだと思います。和歌山県に関する限り、知事が採否を決めた政策に関してうまくいかなかった時、部下である役人に「こんな政策を提言しおって」とその責任を押しつけるようなことは断じてしないつもりです。
 和歌山県はまだまだ難問山積です。これらに一つひとつ具体的な解を用意して実行していかなければなりません。これに比べると批判や評論をすることは簡単です。といっても私は、それがいけないとは言っていませんし、むしろ必要だと思います。しかし私は、県知事のような現実の問題に責任のある地位にいる人や、その部下の役人で、それぞれの所掌の領域に責任を持っている人が「その問題は大事な話ですからもっと議論を深めなければいけません」とか「じっくり考えるべきです」とか言い始めたら、その人々の賞味期限は終わっているなあと思っている一人です。

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