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知事からのメッセージ

知事からのメッセージを紹介します。

平成19年11月のメッセージ

平成19年11月1日

「和歌山応援隊」

 和歌山県では、かなりの数の職員が国や国の機関からの出向という形で働いてくれています。副知事、部長さんから課長さんが多く、さらには、うんと若い人も研修の目的で来てくれています。一般論として言うと、国でも県でも市町村でも色々な職員がいます。死に物狂いでよく働く人も、そうでない人もいます。中には、「このポストは腰かけだ。しばらくのんびりやってみるか」という人もいるでしょう。国から県の要職に来てくれている人も、一般には県でちょっと充電といった気分で、要職に就いているんだろうと思われているきらいもあるかもしれません。実は、就任前には私もややそういう先入観がありました。しかし、事実は違います。皆、本省、本部にいた時と同じように本気で頑張ってくれています。それも、副知事の言葉を借りると、和歌山県のために、和歌山県に有利になるようにとのセンスで頑張ってくれています。私自身が国の役人でしたからその辺のことはよくわかりますし、もし、腰かけ気分でいる人がいたら、その人の椅子は県の大事なポストですから私が許しません。さらに、よく考えると、私が就任した時に和歌山県に出向してくれていた人も一部代替わりして、新しく赴任して来た人も、霞が関の一般水準より立派な人が来てくれているような気がします。そういう意味で「木村前知事は幸せだったね」と、私は周囲によく言っていますし、私自身も恵まれている、また、和歌山県が得をしていると思っています。そういう人々の働きにより、私が就任した後、仕上げてきた政策が随分良いものになりました。例を挙げると、挙げなかった人の働きが大したことはないのかという誤解を受けそうなのでちょっと気が引けますが、既に本省等に帰られた人々を中心に、彼らの活躍ぶりを2~3例として挙げさせていただきます。

 私が就任した時、多分最大の政策課題は、前知事逮捕の後を受けて、事件の再発防止システムとして新しい公共調達制度をいかにして作っていくかということでした。そのために、私は郷原先生以下の公共調達検討委員会を組閣して、この検討をお願いしました。その際、郷原先生達は、日本で一番いいものを作りたいが県に操られるのは嫌だということを考えておられたので、県の通常の組織(例えば、県土整備部)とは別の、委員会の事務局となるプロジェクトチームを作り、そのトップに、もう2年の任期も明けようかという岡企画総務課長に、任期の延長をお願いして就いてもらいました。それから、岡課長はいわゆる「無から有を生む」苦しみを背負いつつ、先生方に実態を勉強してもらい、先生方とそれから私自身のアイデア、理想を実行可能なものにするように知恵を絞ってくれました。5月の報告書発表、6月の改革実行案発表を見届けて、彼は7月1日、国土交通省に帰りましたが、その後、思うところあって国土交通省を退官し、現在、自由民主党の菅選挙総務局次長の秘書として忙しい毎日を送っています。

 また、先日、総務省の増田大臣及び佐藤勉副大臣のところに、地上デジタル放送の難視聴解決のためのお願いにあがりましたが、佐藤副大臣の秘書官は、和歌山時代の茶髪を黒髪に変えた飯倉前情報政策課長でした。山がちの和歌山の情報ネットワーク環境は、まだまだ問題が山積みなのですが、飯倉前課長はそんな全県のへき地なども茶髪をなびかせて飛び歩き、ブロードバンドの普及政策を進めるとともに、各携帯電話会社とも話をつけて「和歌山県携帯電話つながるプラン」(平成19年度から4カ年計画)を作り上げてくれました。これにより、和歌山県の全集落で何らかの携帯が使えるようにしようという政策がスタートしたわけです。

 先般、和歌山県立医大の25名の定員増と関連施設の建設等決定的な医師確保対策について発表をさせていただきましたが、その道筋は一筋縄ではありませんでした。大方の目途が立ちそうになってからも、国の動きとして事務的に3度揺り戻しがありました。その度毎に私がスクランブル出動してお願い、説得、工作、影響力行使などをして巻き返したのですが、広く文部科学省、厚生労働省に網を張って、適時適切に揺り戻し情報を仕入れてくれたのが、福祉保健部の大森前技監でした。もう決まってしまってからでは、いくら強力に働きかけても覆すことが困難となります。従って、大森さんにはこの決定を喜ぶ県民全てを代表して感謝したいと思います。

 実は私も、県庁の経験はありませんが出向は結構多く、本拠地の経済産業省から「他人の釜の飯を食いに」出かけました。科学技術庁、国土庁、経済企画庁2回、JETRO(ミラノセンター)、外務省(ブルネイ大使館)です。民間の会社でもそうでしょうが、出向をすると一般に人の生き方は二通りになります。一つは、それを単なる骨休めと考えたり、そこまで行かなくても、派遣元の顔色ばかり窺っていて行動力が鈍る人、もう一つは、出向先の人になりきって活躍する人。私の場合は、経済産業省という組織が幸か不幸か、良く言えば出向した人を締め付けない、悪く言うと出向者の存在を忘れてしまうという役所だったので、いずれの場合も出向先の人になりきって頑張りました。そうしていると友達もそこでうんとこさできます。この9月に世界最高の地球深部探査船「ちきゅう」が新宮港に寄港して、和歌山の人々を驚かせ、楽しませてくれたところですが、この「ちきゅう」の新宮港母港化への誘致作戦で本当に力になってくれたのは、30年前からずっと親しくさせていただいている文部科学省及び関係機関にいる科学技術庁時代の「戦友」の人々でした。

 和歌山県で頑張ってくれた国等の出向者の方々は、今でも和歌山県を大事に思ってくれて、何かとアドバイスをくださる方も少なくありません。先に挙げた医師確保対策でも、立場を超えて和歌山を応援してくださった昔の出向者の方々もおられました。また、今回の福田政権の発足によって、事務方の官僚のトップに返り咲かれた二橋官房副長官もまた、出向時以来の県の要人とのお付き合いを大事にしてくださり、和歌山県の行く末を本当に心配してくださっています。

 もちろん、このような関係も、和歌山県側に一期一会の機会を大事にして、長く付き合っていこうと努力しておられる方々があってこそ、初めて可能と思います。そういう方々にも感謝申し上げなければなりません。また、そういう出向者も一人ではいい仕事はできません。和歌山県でずっと育った人で、上司として、同僚として、あるいは部下として、また、協力者として一緒に苦労を分かち合った人々がいるから仕事ができたのです。いい思い出もできたのです。そういう意味で、私は苦労を共にしてくれた和歌山県庁の多くの職員やそのOBにも感謝を申し上げたいと思います。と同時に、どういう出自であろうと今の力を認め、欠けたるをお互いに補い合いながら仕事をしていくことが必要でありましょう。あるいは、比較的年若の課長や部長がまごまごしたり物事に窮したりした時、これを助けてあげて、力が出るように指導してあげたりした人たちのおかげで和歌山県は守られてきたのです。

 しかしながら、各地の県人会の活動や、こういったかつての出向者の思いに、今の我々和歌山県庁が組織として、同じくらい真摯に応えているかという点において、私は内心忸怩たるものを感じます。県人会の方々や元出向者の方々の片思いになってはいないでしょうか。例えば、最近いくつかの地域で県人会に顔を出すようにしました。東京の県人会総会で言われたのは「知事が来てくれたのは初めてだ」という言葉でした。これは、ずっと昔に遡ると正しくないということを後で知りましたが、皆さん、錚々たるメンバーで、故郷のことを心配してくれていて、また、色々な面で今後の和歌山のために尽力してくれそうな方ばかりです。人間の付き合いは一朝一夕にはいきません。不断の「メンテナンス」があって初めて、いざという時にこの和歌山のためにご協力をいただけるのではないでしょうか。今、私は、何とかこの方々の和歌山への思いにもっと熱く応える術はないものかと考えています。各地の県人会のような活動には、できるだけ顔を出すようにしています。また、「和歌山では今、こういうことをやろうとしています。是非、今後ともお力添えを」といった情報を、県庁側でも発信するようなことも、もっと考えようと思っています。

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