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知事からのメッセージ

知事からのメッセージを紹介します。

平成19年4月のメッセージ

平成19年4月1日

 3月13日、今年度の大河内賞の授賞式が東京で行われました。今年は、各種大河内賞のうち企業の部では一番格の高い生産特賞に何と和歌山の2社が選ばれました。島精機と住友金属和歌山製鉄所の2社です。私は長年産業界と付き合ってきましたので、土地勘がありますが、これは奇跡に近いほどの快挙であると思います。

 大河内賞というのは、理化学研究所を開設したことで知られる大河内正敏博士を記念して設けられた賞で、毎年生産技術の面で優れた業績を挙げた個人と企業に与えられる賞です。

 毎年多くの候補者の中から全体で10指にも満たぬ者が選ばれます。その中で今回の2社が受賞された大河内生産特賞は特に権威のあるもので、毎年大体1社、ごくたまに2社が選ばれます。日本の生産技術は世界一ですから、その日本で一番ということは世界で一番で、いわば生産技術のノーベル賞と言えるでしょう。過去には、住金和歌山が1回受賞していますが、日本の名だたる企業がようやく1回受賞しているぐらいという権威のある賞です。その生産特賞に2社が選ばれ、何とその2社が両方とも和歌山企業であるというのは何ということでしょう。昔で言えば、提灯行列並みの快挙(少々私もセンスが古いか?)で、和歌山の誇りであります。

 島正博社長に率いられる島精機は、和歌山生まれの今や世界企業です。ニットの生産機械とコンピュータグラフィックの世界に冠たる企業で、言わばニットの世界市場を根っ子の所でコントロールしているといってもよい企業です。今回の受賞の対象は、島社長がホールガーメントと命名された縫製を要しないニット編機であります。縫製工程を要しないということは、それに伴う労働力を要しないということで、私は、これによって高級ニットについては世界の産業組織がまた変わって来るようなインパクトがあるのではないかと思っています。受賞後の3月16日、島社長と住金和歌山の田中丸所長がそろって受賞の報告に来てくれましたが、両社の同時受賞はさらに興味深い関係があるということでした。それは、住金和歌山が前回大河内生産特賞を受賞された昭和53年に、島社長が個人の技術賞をお取りになったということと、島精機のマシンの心臓部の新しい針の部分には住金和歌山が丹精をこめた高炭素鋼が使われているということです。いわば、和歌山の力を結集して大河内記念特賞は授与されたと言えましょう。

 島社長は、いつもおだやかで、多くの社会貢献にも意を用いられ、和歌山にとってかけがえのない方ですが、お聞きすると、今日に至るまでに想像を絶するような御努力をされています。ある時大勢でお話をしていて、知事の仕事は忙しくて大変ですねという方がおられたので、私が「昔通産省でむちゃくちゃ忙しかった時に比べると大したことはありませんよ。安倍総理の父君の安倍晋太郎さんが、通産大臣の時、第1回の4極通商大臣会合というのを米国のフロリダの南端で行ったのですが、これは通産省が初めて外務省に頼らずに国際会議に主役で参加した時で、まだ慣れていないこの会議に参加した唯一の課長未満の人間であった私は、3日間ほとんど徹夜になってしまって、さすがに言葉がレロレロになりました。」などと言ったのですが、その時島社長が仰った言葉は驚きでした。何と若い頃、7日間寝ずに機械の設計を続けられたとのことで、座ると寝てしまうので、ずっと立ったまま、食事をされたりしつつ、設計を続けられたとのことでした。常人が真似をすると危いかもしれませんが、その話の中にひたむきに生きるということの立派な見本がここにあるという思いを深くいたしました。

 一方、住金和歌山は、製鉄所の華、製鋼工程における脱リン、脱イオウ工程の抜本的革新です。鉄鉱石とコークスから鉄を作る住金のような高炉製鉄所の場合、高炉で作った銑鉄を転炉で脱炭をするのですが、不純物のイオウやリンをどうやって取り除くかということが重要なテーマとなります。住金和歌山の技術チームは、この製鋼工程をまるでコロンブスの卵のように2つに分け、第1の転炉でまずリンとイオウを除去し、その後炭素を飛ばすという離れ技をあみ出し、そのための転炉の配置も改めました。これによって一層の省エネルギーが実現し、製品の純度も上がり、前に述べたように島精機の精巧なマシンの材料を提供できたのでした。

 私は、通産省時代に鉄鋼業に2度関係をしました。1度目は1985年から1986年にかけて、激しい貿易摩擦の中で対米鉄鋼輸出自主規制のスキームを鉄鋼業や商社の方々と協力して作り上げて、やれやれと思ったら、プラザ合意後の鉄鋼大不況に突入して、鉄鋼業界はつらいつらいリストラを強いられた時です。2度目は、2002年から2003年にかけて、日本経済がようやく失われた15年から脱しようとした時でした。私は製造産業局次長として、主として基礎素材産業を担当していましたが、日本経済は最後の曲がり角で、大企業がバタバタとつぶれるか、それを切り抜けるかの瀬戸際でした。今から考えると、住金も最後の難局にあって、舵取りを誤っていたら危なかった時代かもしれません。私は、所管産業の客観的な国際競争力比較などをしていましたから、もはや世界一強いはずの日本の鉄鋼企業をつぶしてたまるかという気持ちで、通産省の上司と相談をしながら、所管企業から毎日のようにヒアリングをしたり、銀行と意見交換をしたり、関係行政機関と折衝をしたりしていました。

 住金和歌山の現在の隆盛につながるような再建計画が作り上げられ、それを見せていただいた時、本当に嬉しかった思い出があります。ただし、このような再建も、生易しいものではなかったはずです。その中で多くの従業員の方々が住金を去らなければならなかったし、残った方々も大変なご苦労をされたと思います。

 鉄鋼業に限らず日本の製造業の強みは、現場の方々の長い間の経験努力によって積み上げられた知識を早い時期からコンピュータを導入して標準化していったことというのが、私の持論です。特に製鉄の工程では、必ずしもコンピュータに落とせないような微妙な知見もまだまだ現場にはあって、高炉が不調なことを腹をこわしたとか、便秘だとか鉄鋼業の方々が仰るのを興味深く聞いていました。その現場の方々が不況の中で、会社の維持再建のために企業を去らなければならなかったことを2度も側で見たことは大変つらいものがありました。

 しかし、このようなつらい時期にあって、住金和歌山の製鋼部隊の方々は、本年の大河内生産特賞につながるような生産技術の革新をしっかりと続けておられたのだということが今さらながら理解できて、また一つの感動を得ました。
 住金和歌山が戦後大拡張をしてから、既に半世紀。その時に今日の住金和歌山を作り上げられた方のお子さんの世代がちょうど私の世代、そう言えば中学校、高校の学友に住金にお勤めのお父さんがいた仲間がいっぱいいました。そして、今その我々の仲間のまたお子さんが住金に入社して活躍する時代になっています。住金和歌山はもう三代にわたる和歌山企業です。その三代にもわたる住金和歌山マンの奮闘の上に、今回の大河内生産特賞があるのだと思うと感慨ひとしおの感があります。我々和歌山県民も、もう一度この我々の和歌山企業の快挙を声を大にして祝おうではありませんか。

 そして、それとともに三代に和歌山県民に雇用を与え続けてくれた住友和歌山の一層の発展を心から支えていこうではありませんか。

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