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名人対談

和歌山県には、様々な分野でそれぞれの道を究めた「名人」とも呼べる方々がおられます。このような方々は和歌山県の誇りであるとともに、その活動は県民の皆さんにとっても励みとなります。そんな「名人」から高い志や歩んでこられた人生についてお聞きし、県民の皆さんにご紹介したいと思います。

3月18日(日)過疎地で地域医療を支え続ける 当時82歳の医師(故)松谷鷹太郎さん、医師良清さん親子(有田川町清水「しみず温泉あさぎり」)

知事:本日はお越しいただきありがとうございました。昨年、私が選挙で清水の一番奥へ来た時、松谷先生を拝見しました。その時の先生のお顔が忘れられなくて、是非もう一度お会いしてお話を伺いたいと思っていました。
 名人対談は、和歌山県でその道を究めて色んな分野で活躍しておられる人をお訪ねして、これまでの人生や苦労話をお聞きするという趣向です。第一回目に是非松谷先生にご登場いただきたいと思って、こうやって参りました。お聞きするところによれば、鷹太郎先生の跡はご三男の良清先生がお継ぎ下さるということで本日はお二人にお話をお願いしました。

鷹太郎さん:第一号に選んでいただいて光栄至極です。初めてお会いした時、この方は暖かい、優しいお顔の方で、和歌山を愛されて、問題の多い和歌山を振興するため帰ってこられたんだと非常に嬉しく、まだまだお若いし、これからますますご活躍していただけると頼もしく思いました。

仁坂知事
仁坂知事

知事:ありがとうございます。先生とお話ししたかったもう一つの理由は、私は今、地域医療は苦境にあると感じていることです。ここ清水の山間の里では松谷先生がいてくれたからこの地域の人々の安全が守られてきたんだと思いました。しかし、同時に全県にここのような状況を期待するのは難しいだろうとも思いました。

 ただ、私は地域の大きな町の拠点病院は大丈夫だと思っていました。しかし、実は拠点病院でも医師が不足しています。医師にも人生があり、それぞれ転職されたり、大都会へ行かれたりする。そうすると拠点病院の運営が成り立たなくなってしまいます。拠点病院から川筋の山奥まで一つの医療圏として、その中心病院として何とかしていたのが何ともできなくなってしまってきている。これは大変だということで、これから抜本的対策を講じないといけないと思っています。そこで特に医療について先生のいろんなお話を伺いたかったんです。

鷹太郎さん:今の医師不足の状態は、私も予測できませんでした。誰もが健康な生活を送る権利がありますが、実際は山間僻地は無医地区になることが多いですね。自分は力不足ですが、飛び込んで行って一生懸命やろうと思って弱冠22歳で清水に来ました。

 私は大阪の玉造の生まれで、家は酒屋だったんですが、父が無医村へ行けと言ってくれました。お酒が好きで、それが過ぎて心臓を悪くして亡くなってしまいましたが。

知事:そうすると、先生は大阪でお生まれになって、昭和21年に医者になられたわけですが、大阪の大病院とか街での開業という道を選択せずに、なぜ清水町の病院へ来ようと考えられたんですか?

鷹太郎さん:海軍の軍医になって国のため尽くそうと思いました。大学3年の時、戸塚の海軍衛生学校へ行き軍医の訓練を受けました。昭和20年に呉海軍病院付けで見習い医官として大竹海兵団へ行き、大竹で被爆者の治療に当たり地獄を見ました。戦争は勝っても負けても絶対するものではないと痛感しました。戦争が終わる頃には実家も焼かれ河内長野へ疎開していました。それから高野町の厚生病院で半年勤めました。そこで阪大病院の院長から、清水町が無医村になるということで清水へ行ってくれないかと言われました。もともと無医村で働きたいと希望を持っていたのでこちらへ来たんです。

知事:無医村で働きたいという希望をお持ちだったということでしょうか。

鷹太郎さん: 都会の医者が沢山いるところで働くより、無医村で喜んでもらいたいと思っていました。それで親を連れて来ました。こちらは本当に自然が良いですよ。朝起きるとウグイスが良い声で鳴くんですよ。家の裏に柿やみかんを置くとメジロやヤマガラが来る。

良清さん:実は私も帰ってきて最初思ったのは、夏場夕方にカジカが鳴くのが面白かったです。ナース達に良い声だなぁ、面白いなぁと話していたんですが、慣れてくるとそれが聞こえなくなる。逆に鳴いてるでしょと言われたりします。3年経つとそれが当たり前になってる。来た頃にはいろんな音が気になりました。夏の夕方良い風が吹いたりして。ウグイスも朝5時半頃に鳴き始めるんですよ。その上手い下手があるのも面白い。それで朝目が覚めたりする。でもそれが普通になると感動しなくなくなりますね。

知事:長い間お勤めになって色々な出来事があったと思います。良かったこと、また、苦しかったことなどあるかと思いますが。

松谷鷹太郎さん
松谷鷹太郎さん

鷹太郎さん:こちらに来た当時は有田の医師会では最年少。今では最長老になってしまいました。私は専門は内科ですが、地域柄、昔は山の事故が多く、当時は救急車もなかったので、応急処置をしてトラックで患者さんを病院まで運んだこともありました。水害の時に子癇(引きつけ)を起こした妊婦さんを助産師さんと一緒に助けたこともあります。母子とも無事に助けることができ、大変喜んでいただきました。

 また、集団食中毒が発生した時、私も食中毒になってしまい、患者さんの手当ができなくなって地元の他の先生達に来てもらい助けてもらったこともあります。でも次の日には十数軒往診しました。昭和28年の水害では、2日位寝ずに孤立した地域の治療に当たったこともありました。

良清さん:父は運がいいんです。野戦病院で修羅場をくぐってきて、もう少し遅れていたら父も被爆していただろうし、昭和28年度水害の時も一家が流されるところでした。

鷹太郎さん:有田川上流の天然ダムが決壊し、診療所がもう少しで流されるところでした。私と妻と、長男次男、祖母と祖母のいとこを連れ、仏様を持って斜面を駆け上り助かりました。もう少し遅れていたら皆水の中です。その後、今の場所に開業しました。また、孤立した地区の患者さんを診るため泳いで行って、治療に当たったこともあります。昔は医者は夜でも休みでも診るのが当たり前でした。地元でなんとかできるものは夜も寝ずに治療に当たりました。医者は患者の命を守ることが一番ですが、「医者もかなわんな」と思う時もありました。また、子どもと遊びに行く約束をしていても行けなかったこともあります。でも、子どもは高校へ行くようになって医者になると言ってくれました。

知事:やっぱりお父さんの背中を見て育ったんでしょうね。

鷹太郎さん:今となったら三男(良清さん)に来てもらわないと私も体力的につらいし困りますね。私は新しいこともできないし。

知事:最近は今おっしゃったようなシステムではなく、道もできていて救急車も来るし、ドクターヘリもある。しかし、重篤な病気か売薬を飲むだけでいいのか医者が診ないとわかりません。ヘリを要請するにも誰が判断をするのかという問題があります。そういう点ではここは先生方がいらっしゃるのでありがたい、恵まれていると思いますね。

鷹太郎さん:長年の経験で病状の判断はできますね。助けることができて喜んでいただけけた時、どんな職業も尊いですが医者冥利につきますね。医者になって良かった。

知事:今まで何回かドクターヘリを要請したことはありますか。

良清さん:3年間で5回要請しました。循環器関係です。一人は確実にドクターヘリがなければ亡くなっていました。

知事:例えばどんな。

良清さん:重症の心不全で肺水腫の状態、すぐ挿管しなければいけないという状態でした。電話すると10分もかからないで来てくれます。学校の運動場でドッキングできます。この患者さんは私が循環器が専門ということで初めて来てくれた方でした。今は開業医でも十分診ることができるエコーという機械があります。それでこんな状態だとダメだと。すぐ電話してヘリに来ていただきました。ドッキングした時点ですぐ挿管しました。この方はもうお元気になられましたが、あと30分処置が遅れていたら亡くなられていたと思います。ドクターヘリのいいところはドクターとナース、つまりマンパワーがついてくるということです。特に心臓と脳の処置は緊急を要します。救急車とは違います。救急車も最近は救急救命士も処置できるようになっていますが、トレーニングが非常に大切なんです。

(左)松谷良清さん(中央)松谷鷹太郎さん(右)仁坂知事
左:松谷良清さん 中央:松谷鷹太郎さん 右:仁坂知事

知事:救急救命士はある一定以上の医療行為を行ってはいけないということがありますよね。

良清さん:やっと挿管ができるようになったり、点滴を打てるようになりました。それもある程度トレーニングをしないと。誰でもいいことにしてしまうと問題が起こってくるだろうと思います。
 話は変わりますが、例えばエコーという心臓の動きを診る機械があります。医者はもちろん診ることはできますが、私が循環器病センターにいた時はエコーの技師は医師より経験を積んでいるのでずっと優秀です。しかし、医師の免許を持っていないので、医師の了解をもらわないといけない。いくら優秀でも医師の免許を持っているのと持っていないのでは違いがあります。技術の方はそれを専門に毎日やっているから上手くなってきます。だからそれを医療関係として立場は違うけれど情報を上手くドッキングすることが大切だと思います。私も技師の方に教えていただいて循環器の専門医になってきたわけです。

知事:ところで先生は82歳になられても医師としてご活躍です。お元気でいられる秘訣はあるんでしょうか。

鷹太郎さん:医者は自分の健康に注意しないといけません。「先ず隗より始めよ」です。自分の健康維持のため、バランスのとれた食生活、快通、快眠ですね。規則正しい生活を送ることがが一番いいですね。日課にしているのは、家内もおかゆが好きなので朝おかゆを炊くんです。私は朝は6時に起きるんですよ。夏は5時。朝起きると家の周りを20分歩いています。それから我流の体操。ダンベルを使いますが、筋力を落とさない程度に、沢山はしません。上下に15回、左右に30回。それから仏壇に向かって先祖にお供えして、今日までの健康に感謝して家族の長寿を願って般若心経を唱えるんですよ。もう覚えました。朝食にはおかゆとチーズを一切れとヨーグルトを少し。カルシウムやビタミンEとC、ベータカロチンを摂るようにして。それから夏なら植木に水やり。畑を借りていてトマトとキュウリを作ってます。夏のトマト、キュウリは生でおいしいんです。秋には大根やほうれん草。老いても週に一度は肉類も。健康を意識してやってます。82歳ですがおかげで元気です。
 脳を活性化することも大事です。私は趣味で詩吟をやっています。若い頃は戦時中なので軍歌しか知らなかったですが、詩吟も音楽ですよ。清水でサークルを作って、わざわざ湯浅から先生に来てもらっていました。年に1回ですが励みになるので吉備の人と交流会をしています。それから写真も趣味で、出かける時はいつもカメラを持って行きます。続けることが大切です。今、また英語を話せるようになりたいと、1、2年勉強しようと思っています。毎晩8時から30分間聞いています。

知事:それはすごいですね。

良清さん:今年は英語をすると。いろんなことに興味があるようです。

知事:挫折することはありますか。

鷹太郎さん:あります。

知事:私もしょっちゅう挫折します。どうも練習、鍛錬が苦手で・・・。

鷹太郎さん:「継続は力なり」です。英語も痴呆にならないために始めました。

知事:県も国際交流を活発にしようと思っています。受け入れもするし、外国へも行っていただこうと。和歌山へ来てもらう時は是非先生の所も受け入れていただきたいですね。

良清さん:ぜひ来ていただきたいですね。父は高野熊野が世界遺産に登録され、外国からのお客さんが増えると思ったんです。すると診療する時に英語を話せないといけないなと思ったようです。

鷹太郎さん:70歳になったらアメリカに行きたいと考えていたんですが。もう82歳になってしまいました。今の健康状態なら行けるかと思います。

良清さん:大切なのは節制と趣味なんでしょうね。診療していて思うのは、若い人は仕事で出て行ってしまって、こちらに残っているのは老夫婦、そのうち連れ合いが亡くなって一人になったりします。そうすると何か趣味をもっていないと、だんだんこもってしまう。この辺は車がないと生活できないし、山奥になると一軒家で趣味がないとこもってしまうんですね。食事を作っても同じものばかりになったりする。何か趣味があれば違うのではと思います。でも一生懸命子どもを育ててきた人は趣味をもっていない人が多いです。今から趣味を作るのも難しい。

鷹太郎さん:趣味のない人は交流もなくなる。仕事を辞められた方は、趣味がないと交流もなくなるし鬱傾向になってくる。交流することは大事です。

知事:ほんとにそうですね。ところで、先生は長年山がちなところに住んでいらっしゃいます。和歌山は昔は森林王国だったわけですが、最近林業が不振で、山の生活も大変になってきているかと思いますが、その点、先生は周りの人々の経済活動をご覧になってどう考えていらっしゃいますか。

鷹太郎さん:若い人がいないので働く人が少なくなって今のままだと奥の地区は消滅してしまうのではないかと思います。これは大変なことだと思います。町にもっと奥の地域のことも考えてほしい、林業を大事にしてほしいです。若い人は便利な所へ行ってしまいます。奥の方は工事もほとんどありません。しようと思えばあると思うんですが。なんとか若い人たちが働ける、定着できる職場を作ってほしいですね。これは私の力ではどうしようもありません。私は病気を治すお手伝いしかできません。

知事:県の人口はどんどん減ってきています。特に山間の地区で人口が減少するのは仕方がない面もあります。しかし、減るプロセス、若者だけがいなくなるのは困ります。うまく減ることが大事です。道によって活動範囲が広がっているので、例えばこの辺りにもう少し働く場所があればここより奥の若者も通える、それによって若者もおじいちゃんやおばあちゃんと一緒に暮らせるようになるといいなと思っています。前は100人でいたところが50人で上手くまわればいいかなと。逆にまた、人口が少ないことで地域のいいところも強調できます。都会の人は休みの時くらい自然の中で生活したいと思うかもしれない。そういう人には逆に鄙びたところは魅力があるんですね。そういう演出をすれば交流によって別の生き方もできるかもしれないと思うんです。和歌山の大事な資源である森、山、木で商売できるようにしないといけないと考えています。これは私は十分見所があると思っています。
 和歌山は戦後すぐは林業が栄えていました。その過程でどんどん切りました。針葉樹をどんどん植えました。私の子どもの頃は一面はげ山だったが、今は木が茂ってきています。それなりに資源として成長するという気がします。

鷹太郎さん:そういうお話もよく聞きます。環境問題もあるし、中国や南方もこれ以上は木を切ってはいけないと。今は採算に合いませんが、森林組合が製材所を作って間伐を始めています。多少よくなってくると業者の方も言っていました。

知事:ただ手入れをずっとしていないので木がまだ細いんですね。これを間伐するには、今の経済状況では間伐材はなかなか用途がなくて売れなくてまるまる損になってしまう、先行投資ができない。これを経済的なメカニズムの中に組み入れていくことをやらないと潜在的な力はあるんだけれど山は完全には生き返ることができません。和歌山の山を経済的なメカニズムの中に組み入れる仕掛けを考えないといけないんですが、これはなかなか難しいですね。それでちょっとやり始めています。前は大きな林道を作っていましたが、今は小さい作業道を作り、小さい道具で間伐をして引っぱってこようかと考えています。試行錯誤なんですが、これが上手くいって山が生き返ってくると、もう少し若い人が林業で生活ができるようになってきます。それから企業を、小さくてもいいので麓の方にいくつか誘致できたら大分違ってくると。

鷹太郎さん:清水にも製材所がありますが、請負のような能率給にすると勘定に合うと聞いています。

知事:だんだん良くなって来ますかね。そういうのが上手くまわってくると楽しみですね。でも最後はやっぱり医療ですね。

鷹太郎さん:医療は欠かせませんね。

知事:先生にもずっと活躍してもらいたいですが。

松谷医院前にて
松谷医院前にて
左:松谷鷹太郎さん 右:松谷良清さん

鷹太郎さん:時代も変わってきます。人間の力は限られています。知らないこともたくさんある。先輩の力も借りないといけません。今は息子が主になってきて、私は今は脇役です。院長職は息子に譲って私は地域の方の健康維持・長寿のお手伝いをしたいと思っています。仕事を辞めるととたんに老けてしまいます。命ある限り手伝いたいと思います。

良清さん:医療はもちろんですが、今は検診が大事です。今、中高年の人によく言われるメタボリックシンドロームを私たちが見つけて早く治療するというのが一つの方法です。しかし、働いている人は薬を飲むほどでなければ放っておきますね。こちらが黄信号を出していても向こうは黄信号と思っていません。医療は今まで一元的にしていたのを層別化しようという方向になってきています。予防医学ですね。中高年は食生活をなかなか変えられない。コントロールできなければ薬を飲ませましょうと。そのほうが安全だという話も出てきています。もちろん歩いたり、食生活を良くしたり、生活習慣を変えるのが一番いいんだけれど実際は仕事をしていて変えられない。変えられない人は早く薬を投与しましょうと。それはやはり医者が判断する。

鷹太郎さん:血圧が高ければ薬を飲みながら仕事をしてもらうと。糖尿であっても薬を飲むとかなり下がります。歳を取ってからカルシウムを摂っても効果がありません。40代、50代から摂取しないと効果が現れません。私のような高齢者は食べることが楽しみです。高齢者の患者さんにはあまり厳しい制限はせずに少々好きなものを食べてもらってニコッと笑って帰っていただくのが私の仕事です。若い人は厳重に治療し仕事をしていただく。

良清さん:70後半になれば糖尿だといって食生活を押さえると生活レベルが落ちる可能性があります。数値が下がってもその人の気持ちや人生はよくならない。時々言うんですが、病気と寿命は違うと。僕の患者さんで96歳の方がいますが、元気で畑仕事をしておられます。その方は病気はあるんだけど元気なんですね。また何回も亡くなるんじゃないかという病気をされた96歳の方もいますが、しっかりとされているんです。病気と上手くつきあう、友達として生活を楽しむ。歳を取る前に何か好きなこと、自分がやっていて楽しめるものを持っている人と持っていない人では、歳をとると変わってくると思っています。よく聞くんですが、趣味もなければ老け込んできます。仕事を辞め、地域での活動を止めてしまうと家から出なくなる、部屋から出なくなる、布団から出なくなるという風にだんだんと鬱になってきてしまうんですね。

知事:それぞれ患者さんのライフスタイルに合った医療を行われているんですね。地域医療のモデルだと感じました。有田川の地区の人は両先生がいるので幸せですね。

鷹太郎さん:20年以上前から月に1回保健師さんと一緒に沼谷地区へ検診に行っています。高齢者が多いので、血圧測定をしたり薬を持って行ったりしています。

良清さん:私も父と交代で行きます。保健師さんとうちのナースと一緒に行きます。サロンのような形で、血圧を測ったり、風邪の予防方法や注意点などいろいろな話をしてきます。沼谷地区は高齢化率が高いです。家も離れたところに点在しています。介護の方が伺ってお風呂に入れたりするのは近くならできますが難しいお家もあります。介護も大きな柱ですが、今はデスクワークで介護の程度が認定されてしまいます。田舎では事情が違います。例えば老化防止のため筋トレをしましょうということになっても都会なら来てもらうことができますが、このあたりでそんなことはできません。

鷹太郎さん:昨日は沼谷へ97歳のおばあさんを診に行ってきました。ほとんど寝たきりで、少し認知症はあるんですが、義理の娘さんが看ています。あばあさんは食欲もあり元気なんですが、その娘さんも70歳を超えています。

有田川町清水「しみず温泉あさぎり」にて
有田川町清水「しみず温泉あさぎり」にて
左:仁坂知事 中央:松谷鷹太郎さん 右:松谷良清さん

良清さん:老々介護の問題です。老々介護ができるところはいいですが、それもできなくなってきています。やはり若い人が必要です。
 もうひとつは、高齢者は土地に愛着があります。最近は看取ってほしいという方もあり、いかに看取りの場をつくっていくかが私たち開業医の課題です。例えば、末期ガンの患者の場合、大きな病院ではもう治らないとなるともう診てくれません。そうするとこちらへ来られます。最近は告知することが多いです。2年前に末期ガンの60代の男性を看取りました。本人には告知されていました。末期ガンは苦痛を伴います。家族は覚悟が必要です。今は痛みを取る薬、飲み薬や貼薬、坐薬などがあります。田舎でもいろんな薬が使え、痛みを和らげてあげることはできます。ただ最後は少し苦しみます。でもその方は絶対入院しないと。苦しむ彼を見て家族はどうしていいのかわからないんですね。僕は看取りは愛情しかないと言ったんです。聴覚は最後まで残ります。楽しかったことなどを話したり、手を握る、背中をさする、これは家族ができる医療だと。これだけで大分違ってきます。いかに笑顔をつくってもらうかですね。最初は笑ってもらえるけれどだんだん出てこなくなります。ちょっとでも笑いがあると楽になります。
 最後の看取りの場をいかにするかということは、自分の人生観がかかってきます。医療技術が進んでもいかに最期を迎えるかが大事になってきます。父は地域の人のことはすべてわかりますね。

鷹太郎さん:脳梗塞になっても入院するのを嫌がります。我慢できるときはいいですが、
 痛みをとる薬を使うわけにもいきませんからね。頭を悩ますところですね。何年経っても医者というのは難しいですね。

良清さん:特に、救急ということに関して言えば、和歌山は山から海まであるのでドクターヘリがあるのはありがたいです。あと拠点病院ができてきているのでその辺をきっちりしていっていただきたいですね。ただ医者が途中で辞めていくことが多いので大変ですけどね。

鷹太郎さん:長く医者をやっていますと、地区の方々とは、親戚や家族のようになってきます。医療は技術は勿論大切ですが、お互いの信頼と愛がなければうまくいかないと思っています。今日まで地区の皆さんの絶大なご支援のお陰で、大過なく無事過ごさせていただいたことに心から感謝し、ありがたく思っています。

知事:お話を伺って、改めて抜本対策を講じないとだめだと感じました。これからも地域医療の充実に取り組んでいきたいと思います。本日はどうもありがとうございました。

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