現在表示しているページ
ホーム > ようこそ知事室へ > 寄稿・提言・訓辞・挨拶集 > 平成24年度新規採用職員研修・知事講話

メニューをとばす

寄稿・提言・訓辞・挨拶集

新聞・雑誌等への投稿や、各種行事での講演・挨拶、政府への政策提言等を通じて、知事の考え方や政策を紹介します。

平成24年度新規採用職員研修・知事講話

平成24年4月10日(火)13:00~14:00
和歌山県自治会館2階大会議室

1.はじめに

 皆さん、こんにちは。
 今日は、新規採用職員に知事講話ということで1時間お話をします。 研修プログラムを見ると良くできていると思います。それぞれ実務的な内容ですから、よくノートを取っておいて、一発では頭に入らないと思うけれど、時々思い出してみたらいいと思います。
 唯一、例外は私の話です。これは、聞き逃していただいても結構です。また、全県庁職員のために申し上げたいことを書いておこうと思って、年度末から年度始めにかけて、作文しました。全職員のパソコンで見ることができ、今日話すことも載せていますので、それを見ておいていただいても結構です。
 今日は、資料を2枚配っています。1枚目が『和歌山県庁心得』、2枚目が『和歌山県庁べからず集』『和歌山県庁安心集』というものです。去年の新規採用職員への講話のときにかなり力を入れて作ったものです。別に諸君をないがしろに考えている訳ではありませんが、今年は、去年作ったものを持ってきています。1年前の先輩に「こんな話を受けました」と言ったら、「俺たちと一緒だなぁ」と思われるでしょうが、それは我慢してください。

このページのトップに戻る

2.和歌山県庁職員の心得

① 仕事の流れ
 人間というのは、行動に動機付けがいりますよね。仕事をする時の動機付けが必要ですね。そのためにも県庁職員として、県民のために尽くそうという『使命感』とか、良かれと思ってやる、正しいことをやるという『正義感』、こういうものがいるということです。何をやったらいいのか分からないから知事の言うことを聞いて、「こうやれ、ああやれ」と言われ、「へいへい」と言ってやっていればいいというものでもない。何をやるか考えるとき、『実態』を知らずして考えると大体間違える。
 したがって、『実態』の把握をきちんとしないといけない。『実態』の把握をした上で、足とか耳とか目を使って色んなものを知る。それに『使命感』をあわせれば、どうしたらいいのかということが考えられる。また、考える時に対策を打つ『技術』というのがあって、ノウハウや専門知識が生かされるだろうということですね。
 皆さんはプロだから、プロの技術を身につけておけば、考えたときにその技術をもって、どうすればいいかということが分かってきますね。その対策を打てばいいのです。対策を打つときに色々と考えなければならないことがたくさんある。しかも勇気をもってやらなければならない。躊躇したら駄目。ただし、「ほんまに良かったかな?」というようなことをいつも考えるという『謙虚さ』も必要です。こういう流れの中で皆さんは仕事していくことになります。そのときに、『使命感』『正義感』で必要なことは何か、『実態』を見るときに必要なことは何か、ということを書いています。
 また、「何故そんなことが必要なのか」ということについても書いています。
 例えば、資料の『実態』と書いているところに、足と耳、アンテナとあります。本当の問題はどこにあるのか。真実はどうか。的外れにならないようにするためにどうしたらいいか。そういうことを勉強しなければならないということを書いています。

②『考える』・『技術』
 『考える』という所と『技術』という所を皆さんに特にお話します。
 『考える』という所で「へっぽこ役人にならぬよう」「頭カチカチ役人にならぬよう」「指示待ち人間はつまらない」ということを書いています。
 どう考えるかというと、「何とかしてあげたい」「どうしてこんなことをしないといけないの?」、あるいは「柔軟に」と書いてあるように、いつも「これで決まっているんだよなぁ」と言わず、「決まっているといっても絶対に変えられないと決まっているわけではないんじゃないの?」とか、「もう少し真心こめれば、こういうことができるのではないか?」ということを考えなければいけない。考えることによって「へっぽこ役人にならない」「頭カチカチ役人にならない」「指示待ち人間にならない」ということになると思います。

・ へっぽこ役人にならぬよう
 『へっぽこ役人』とはどういうことかというと、「心のないような役人」は『へっぽこ役人』という気がします。皆さんは、県民のために尽くしたいということで、県庁に入ってきているわけです。何か問題があったときに、上司に言われたとおりする。あるいは前例のとおり、それから「もう決められた路線だからこれしかないよなぁ」と思い込んでしまって、『考える』能力を省いて、「ここ、決まっているんですよね」と言って押し切ってしまう。こういうのは『へっぽこ役人』じゃないかと思います。
 役人で偉いのは、「今の前提、前例、上司の命令、法制度とかが、こういう風になっているが、本当にそうかなぁ」と、どうすれば自分の『使命感』や『正義感』を満足させるようにもっていけるか、いつも根源のところまで掘り下げて考えること。そういうのが良い役人だと思います。
 これからたくさんの案件を皆さんは抱えることになると思います。「へっぽこ役人と言われてたまるか」ということを覚えておく。「自分はへっぽこ役人かな」と反省することで『考える』きっかけになるのではないかと思います。

・ 頭カチカチ役人にならぬよう
 もう一つは『頭カチカチ役人にならぬよう』です。前例があり、法律の制度があり、法律からできた県の制度があるとすると、そのときに、従来からこういう風にしていると決めてしまうと、もしかしたら間違いである可能性があります。
 皆さんが、直面している問題があるとして、その直面している問題を、『使命感』『正義感』で何とかしてあげたいと思うときに、「前からこうだから、駄目に決まっている」と言ったら、それは『頭カチカチ役人』だと私は思います。
 従って、例えば、法律は時代に合わなくなくなれば変えればいい。ましてや法の運用なんていうのは変えればいい。それから県でいえば、条例は議会に諮れば変えられる。運用は、条例の趣旨を呈して実態を踏まえて考えれば変えられる。前例は、今の時代にそぐわないと思って、きちんと説明すれば変えられる。何でも変えられるんですね。だから自由な発想でやってもらいたい。ただし、変えればいいというものでもない。何でも変えなければいけないというのもまた間違い。変えたらどうなるかということを皆さんは考えなければならない。
 目の前の案件を何とかするために、皆さんに自由度が与えられたとします。知事をやっているとたくさんの自由度が与えられます。右だとすると、右に伴う弊害がいっぱい来る。じっと立っていると、立っている不都合が出てくる。楽な決定はない。右だと言ったときに右へ行ったときの副作用や不公平だとかいっぱいある。そういうことを全部カウントして、不都合もいっぱいあるけれども、右だと不都合が3つあるとすれば「その3つにはそれぞれ手当てをしよう」と発想していけばいい。
 したがって、右だ、左だと考えたとき、何が起こるかを考えないといけない、そういうことを柔軟に考えてもらいたいと思います。

・指示待ち人間はつまらない
 それから『指示待ち人間』、これもつまらない。
 今、政治主導と言って「政治家の言うことを聞け」、「官僚支配はけしからん」という人もいますが、本当の役人としてやるべきことは、「考えて提案をすることだ」と思っています。皆さんにもそうしてもらいたいと思っています。しかし、その提案をやめてしまうと、大臣とか副大臣とか大臣政務官とかそういう人に言われたとおりのことをやる。それから、局長なんかも言われたとおりやる。課長は局長に言われたとおりやる。職員は課長の言われたとおりやる。言われたとおりやるばっかりの『指示待ち人間』で指示が無ければ何もせず、ぼーっとしている。
 これでは『使命感』とか『正義感』を達成できないのではないかと思います。
 皆さんは県庁に奉職しました。そうすると皆さんの対象は、守るべき相手は県民です。そこで「何のための人生か」ということがまた出てきて、「県庁の職員として県民に奉仕するための人生なんだから」、そしたら「指示待ち人間でやってられるか、ドンドン挑戦をしよう」と思えばいいということです。

・ 『官僚支配』に何故なるか
 私が知事です。皆さんは官僚です。「皆さんに私は支配されているか」というと、実は言葉の本来の意味では支配されていないんですけれど、ずいぶん皆さんに頼っている。皆さんというのは新規採用職員ばかりでなくて、特別職の副知事、そして部長さん以下の方々に頼っているところがものすごくあるんです。「これやっといてね」とか、「その原案でいいんじゃない」とかですね、そういう意思決定でいうと80~90%はそうだと思います。
 だけど私は別に官僚に、つまり、県庁の役人に支配されているとは思っていません。
 なぜかというと、二つあって、一つは相手の言っていることが「ほんまにそうかなぁ」と、いつも考えて、そして「そうや、よっしゃ」と言って主体的に自分で判断しているからです。
 もう一つは、「いざとなったら、それは全部責任取ってやる」と思っているからですね。
 だから、役人が、つまり県庁の職員がやってくれていることは、私がやってもらっていることです。やってもらっているけれど『右向け右』とか『1+1=2』とかそんな細かいことまで指示していません。まかせてやってもらっているけれども、それは何も支配されているという話ではありません。
 そうすると、結局どういうことかというと、官僚に支配されているということは、はっきり言えば、トップが、つまり、政治で選ばれたトップが駄目だということです。「私は官僚支配を脱却するために政治家やっています」と言うような人のことは駄目だと思えばいいんだけれど、ちょっとマスコミなんかが、そういうのを煽ったものだから、「かっこいいなぁ」ということで流行っているんですね。だけど、これは間違い。官僚が、今度は「そうか、そうしたら俺たちは指示待ち人間でいいんだな」と思ったら組織はガタガタ、機能はガタガタ。
 それから政治家も、官僚に知識というものを当てにしなくなったら、行動半径はうんと小さくなります。そういうところをやっぱり気をつけていかなければいけないと私は思っいます。
 そのためには、政治家である選挙で選ばれた人間も、それから下にいる役人の人もみんな一生懸命勉強しなければいけないということです。
 スキルがあって初めて頼られるわけです。スキルがなくて、雑談ばかりしていてもそんなものは当てにならない。
 政治家が「これはこうやったらどうかなぁ」と言ったら、「それは、こういう制度があってこうだから、じゃあ、これでいきましょう」とか、逆に役人から「こういう制度でこうやりたいと思うのですが、どうですか?」とか、どんどん提案などが上がってこないといけない。そのためには、制度の勉強とか、そういうことをたくさん勉強しておかないといけない。あるいは自分がやってみる。今の専門の仕事、その向こうにある実態、そういうものをものすごく勉強してもらいたい、そういう風に思います。
 そして、今、制度とかあるいは法律とか条例とか言いました。こういうのは、特にひねた法律家なんかはひねたセンスをもっていますが、一年生で若い人はだいたい「恐れ入りました」「ははぁ」ということになるわけです。水戸黄門の印籠みたいなものです。「これが見えないか」「法律違反だ、条例違反だ」と言うと、「ははぁ」と、こうなる訳です。あるいは「中央官庁の指令だ」とか、「農水省の役人はこう言ってるぞ」とか、「文科省の役人からこんな指示がきました」とか言うと「ははぁ」となる。このように、水戸黄門の印籠みたいに「ははぁ」となっては駄目なわけです。
 「それはそうかい」と言いつつ、よく中身を理解しないといけないけれど、正しいかどうかは分からない。本当に正しかったら従えばいいし、正しくなかったら、「それはおかしいんじゃないですか?」という風に言っていいわけです。
 そのためには相手以上に勉強をしないといけない。そのときのコツは、ずはり、一生懸命勉強するだけではなくて、制度というのは、大義名分とか意味とか条理とか、そういうものがうしろに必ずあるというのが大事なセンスなんですね。だから「こうやって決まっています」というのは説明になっていない。「それは何でか?」と言われたときに、「そうしないと、こんなむちゃくちゃな秩序になる」というように、そういうことがうしろにあって制度は決まっているんです。そういうことを色々悩んで原点に立ち戻って、大義名分とか意味とか条理とか、そういうところに戻って考えてもらいたい。

③『謙虚』
 『謙虚』ということが最後に書いてあり、そこに「ほんまかいな」と書いています。自分たちがやっていることはいつも自分自身にも問わないといけないし、「世の中の人が何か言ってるぞ」というようなことについてはアンテナを高くして聞いた方がいい。
 しかし、何か言っているといっても、全部「はいはい、そのとおりです」と言ったら、こっちの人に「そのとおりです」と言うと、あっちの人に「こらっ」て怒られたりするから、そんなに簡単なものではありません。だけど、「なるほど、なるほど」と聞いてみて、それで「そんなこと言ったって、そんなことをしたら、こんなになっちゃうよ」とか「そういうことで、やっぱりそれは駄目ですよ」と、こういう話をできるようにいつも考えないといけないと思います。あるいは、「そうだなぁ」と思ったら他に副作用がなければそのとおりしてあげればいいと思う。
 それから、役人というのは「無誤謬性(※誤謬(ごびゅう)…まちがい)神話」って書いてありますけれど、「間違った」と言いたくない、あるいは「改める」と言いたくない、こういう根性なんですね。この根性がどこから出て来ているかというと、一つは、組織防衛みたいな気持ちがあるんですね。先輩がやったことを「あれ間違いでした」と簡単に言うと先輩から非難されるんじゃないかと思うこともあります。もう一つは、「議会とか、そういうところで批判をされるのが恐い」と思うかもしれません。批判されても別に怖がることはないので、「あのときはこういう事情で右だと言いましたが、あとあと議員のお話を聞いていて、やっぱり総合的に考えれば左ですね」、「改めます」と言えばいいのです。そういう無誤謬性の神話の中で「絶対に誤りでない」「誤っていない」と言い張ろうとして、「どんどん深みにはまっていることはないか」と考えることが組織としての謙虚さだと思います。従って、間違ったら間違ったでいいと思います。さっさと謝ればよい。

このページのトップに戻る

3.和歌山県庁べからず集

 続いて、和歌山県庁べからず集です。

①自分の仕事ではないからと言うな
 一言で言うなら、いろんな話が、皆さんのところに来るときは、皆さんのことを県庁を背負っている人だと思って話が来ます。そのときに「僕の仕事じゃありません」と言ったら、「それじゃ、あなたは何なのよ」ということになってしまう。それから、親切ではありません。相手のことを思っていない。それから、「自分の仕事ではないことは事実だ」と思ったらそれを説明していいけれど、できるだけ自分でやれることはないかということを考えておく。「私の仕事じゃありません」「県庁の仕事でもありません」と言って、ぱぁーんと蹴ってしまっていいのか、ということはいつも考えておいたらいいと思います。アドバイスして上げるとか、権限を持っている人に紹介して上げるとか、やれることは色々あります。

②お金(予算)がないからと言うな
 一般に世の中では、県庁は予算を組んで執行する組織だと思っている。その証拠に、予算の査定が始まるとテレビ取材が来る。知事査定が1月にあって、そのときにテレビが来る。その時は、もうほとんど全部決まっている。最後のつじつまあわせのときに知事査定があって最終的な決断はするが、我々の政策は、その前の年の4月ぐらいから始まっていて、いろいろ反省をして、部内で議論をして、1度夏の初めぐらいに知事のところに来て、今年の方向性を議論して決め、みんなの意見を聞き、9月ぐらいに仕上げて最終的に知事査定をして、議会を通して一人前になるのです。
 しかし、必ずしも、予算というのが、すべての手段ではないということを、もうちょっと意識しておけばいいと思います。
 例えば、情報をお伝えする。県庁の予算でなくても、例えば、中小企業政策なんていうのはジェトロ(日本貿易振興機構)の予算、経産省の予算とか、いっぱいある。それから、右の人と左の人を仲良くさせるだけでも世の中うまく転がっていくかもしれない。そういうことにお金なんか要らない。そんなことで、「お金がないからと言うな」ということと、「今はないかもしれないが、工夫してやるべきだ」と思ったら、代打も含めて用意する、あるいはどこかから予算を取ってくる、というようなことも必要だということです。

③やったふりをするな
 ここで、私が思ったのは、例えば、『格好付け行政』というのがあるんです。
 県民の人が困っていることがある、困っていることを私たちは「忘れていませんよ」、「そのために調査をしますからね」と言いますと、「忘れてませんよ」という言い訳をしているだけのときもあるし、本当に調査しているときもあります。通り一遍のことだけやっていればいい、というようなものではないでしょう。
 「格好つけるために行政をするのはやめよう」「本当に困っていることがあれば、その困っていることを、世の中を動かすようなことをしよう」、そういうことを言いたいのです。
 例えば、100万人が困っていたら、100万人を動かすようなことをしなくてはいけないんだけれど、その内の10人ぐらいが影響を受けて「良かったね」と言ってほめてくれるような政策でしかないのに「100万人に対して、言い訳がたちました」というのは、「どうかな?」というのがあるわけですね。
 そういうことで、自分の今の政策が『やったふり行政』になっていないかということを、いつも考えながらやったらどうかということです。

④時流におもねるな
 どういうことかと言うと、例えば震災で東北が大きな被害を受けました。震災で被害を受けたら、必ず景気が悪くなり、しばらくは経済の調子が悪くなる。復興需要が出てくれば別だけれど。
 それならば、他の地域は、必死になって、働いて、頑張って、稼いで、儲けて、そして余力を出して被災地を助けないといけない。それを「かわいそうだ」と言って、「いろんなお祭りを全部やめ、イベントもやめろ」と言ったら、被災地でない所も元気がなくなってくるわけですね。そうなったら、本当に、被災地の人は嬉しいか。一方で悲しんでいるのに、一方で調子良くワイワイやっていたら、いかがなものかというところはあるかもしれないが、真面目なイベントとか、真面目な催し、研究会、シンポジウム、そんなものを何で止めないといけないのか。そこで決意を新たにして、助けに行ったらいいじゃないか、こんなことを言うわけです。
 そうしたら、どういうことになるかというと、「心の冷たい奴だ」と言って批判をされるわけです。あるいは、批判をされるんじゃないかと思って、予防的に色々と中止するわけです。その結果、もっと悪くなるということがあるので、この辺は、評判とか、世論とか、特にマスコミ等が言っているような話は、「ほんまかいな」と思って、時々は「こっちが正義だ」と思ったら、それに逆らってみる勇気もあったらいいなと思うんです。

⑤考えるのは1日で出来る(調査・検討という政策はない)
 県民が何か困っている問題がある、その時に「1年かけて検討会をしましょう」という政策がある。これは専門的なこともあるから全部否定してはいけないと思いますが、全部肯定できるかというと、「どうかな?」と思うようなときがある。
 私は、「1年間かけて結論を出せ」と言われたら、はじめの11ヶ月は完全にさぼります。 そして12ヶ月目に「大変だ、大変だ」と言って、徹夜なんかして3日間ぐらいで仕上げます。そういうようなことになると思うんです。
 そうならば、深く考えることを今すぐ考えたらいいじゃないか、今すぐ考えて、実態調査みたいなことをするのだったら、それはやらないといけない。考えるだけではできない。 例えば、自然科学的な調査とかは、例えばボーリングしてやらないといけないこととかがあるから、それはやらないといけないけれど、そんなことをやることについての比較みたいな話は、すぐに考えたらできるんです。そんなことを「1年かけて検討しましょう」なんていうのは、「新政策として認めない」と私は言います。そういうようなことを言っているのだと覚えておいてくれたらいいと思います。
 役人、あるいは県庁、行政は、「影響を及ぼして初めて何ぼのものだ」ということです。
 影響を及ぼさなかったら、我々だけが認識を新たにしているだけなら、県民の人はそんなものは別に嬉しくも何ともない。
 調査物が、アウトプットで県民共通の財産となるようなものがあります。だから、そういうものをすべて否定するわけではありませんが、ほとんどの分野は、影響が及ぶことでより良くなって、初めて「嬉しいな」という風に思われるのではないかと思います。

このページのトップに戻る

4.和歌山県庁安心集

①命あってのものだね 倒れそうになったら倒れてしまえ
 若い職員がおりまして、皆さんからするとだいぶ先輩ですよ。先輩ですけれども、その職員の方が、私が知事になって1年目か2年目のときに私の話を聞いたそうです。「何が頭に残っているか」と聞くと、「倒れそうになったら、倒れてしまえと言いました。これだけが残っています」と言うんです。我ながら良い言葉だと思うのですが、常にそういうことを言っています。
 私は通産省で2年にわたって採用担当をやりました。そして、採用した者のうちの一人が過労で亡くなりました。後で聞いたら、ちょっと身体が弱かったらしいんですけど、調子が悪いと言えなかった。そういうタイプの人間なのですね。むちゃくちゃ頑張る。だけど頑張りきれなくなって、本当に倒れてしまいました。若くても意外と体の調子は悪くなります。だから、職員には、こんなになる前に、「調子が悪いなら調子が悪いと言いなさい」と言っています。
 体の調子が悪いときもあるし、精神的に調子が悪いときもあります。「こんなの辛い、たまりません」というようなときがあるわけです。うまくいかないときに抱え込まないで、「うまくいかない、これはできない」と、「これちょっと無理です」というような泣き言も言ってみたらいいということですね。あるいは、いつまで経っても終わらない、一生懸命やって、明け方になってもまだ終わらない、次の日になってもまだ終わらないときは、「これちょっとオーバーワークでできません」と、「援軍を送って下さい」と、そういうようなことを言わなければいけないときもあるかもしれない。そのときに躊躇することなかれ、ということです。調子が悪かったら、「調子が悪い」とみんなに言って、体調が悪かったら、病院へ行って、精神的にも参っていたらSOSを発する。皆さんは県の宝であり、この先30何年間一生懸命働いてもらいたいと考えているので遠慮なく言ってほしいということです。

②いつか終わる
 これは私の発明ではなくて、私が通産省の役人をやっている時に聞いた言葉です。仕事がなかなか終わらないというような、むちゃくちゃな時代があるわけです。今の原子力なんかがそうだと思いますけれど、なかなか解決の道が見えない。震災の復興もそうだと思います。何をやってもまだ山のように仕事があって、もうしんどくなってくるわけです。そのときに「いつかは終わるよ」というように思えばやっていける。仕事は本当にいつか終わります。
 例えば、自分の時代に終わらなくてもそのうち変わるかもしれない。それから、一生懸命やっていても「もうそんな問題はよろしい」ということになるかもしれない。あるいは頑張ってやっていると、トンネルに“こんこん”鑿(のみ)を打っていたら向こうへ貫けるということもあるかもしれない。そういう『いつかは終わる』という気持ちでやっていくということです。

③言論の自由 向こう傷は名誉 失敗は栄養
 これは“言わずもがな”なんで「皆さん口をつぐむことなかれ」、思ったら上司にでも同僚にでも、官僚にでも、何でも言ったらよろしいということであります。
 それから、チャレンジをする。どんどん前へ行く。そうすると絶対失敗します。失敗しない人がいたら奇跡であります。絶対します。だけど前へ行って、“ぼこん”とやられて、「あいたっ」と言って、「すみません」とかいうのは、こんなものは『向こう傷』で、ものすごく良い経験で後々役に立ちます。ですから、後ろへ下がって、びびって隠れていないで、前へ出て“ごんっ”とやられて、「あいたっ」って言っていればいいのです。それは組織全体できちんとカバーしてくれるから。隠れてこっそりやるのは駄目ですよ。堂々と組織の一員として前へ突っ込んでいけばいいのです。『失敗は栄養』です。

④友は裏切らず
 これは大事なことです。私も部下と一緒に仕事をしているでしょう。それから、他の人が組織と同盟関係にある案件というのもあるのです。そういうものをこちらだけの都合で態度を変えたりすると、向こうの人がとっても困るんですね。あるいは、部下との関係で言うと、私が「右だ」と言っている。すると、部下が「右だ、右だ、右だ」といって一生懸命やってくれる。そのときに、突如として、私が「もう駄目だ」と思って、「左だ」と言って、「右と言っていたのは部下が悪いんですよ」、なんて言ったら、これは友を裏切ったことになります。
 ですから、『友は裏切らない』、みんなで一緒にやめるならやめよう。「そろそろやめようか」と言って、「それじゃあ、やめ」と言って、上の人が責任をとって「左転回」と言えばいいのです。そういうことで、友を裏切ってはいけない。

⑤県民のために奉仕するチャンスを与えられた幸せ
 最後にですね、『県民のために奉仕するチャンスを与えられた幸せ』を我々はしみじみ感じよう。これは、私は本当にそうだと思います。私も和歌山に生まれて育って、その後、和歌山にずっといなかったんだけれど、たまたま縁があって、勧められて、知事に就任した。いろいろ大変なこともあるけれども、生まれ故郷のために尽くすというのは、これは嬉しいですよね。皆さん生まれ故郷でなくてもいいんですよ。和歌山県庁に奉職して、公のために尽くすということの機会を与えられている。他の人だって、公徳心、あるいは公益心に富んだ人はたくさんいらっしゃいますが、自分の人生あるいは生きるために、会社のために一生懸命頑張ろうじゃないかと仕事をしていても、「こんなことをして儲けるのは嫌だな」と思うことがあるかもしれない。だけど、県庁はそんなことをしなくてもいい。県民全体のために一生懸命奉仕すればいい。そういうことを考えてみたら、給料をもらってやらせてもらえるんだから、「こんな嬉しいことはない」と思って、安月給でも我慢しましょうというのが私の最後の訓話です。
 皆さん、どんどん発言しながら、公務員たる機会を与えられたことに喜びを感じながら、仕事をしましょう。以上です。ありがとうございました。

レジュメ

このページのトップに戻る