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寄稿・提言・訓辞・挨拶集

新聞・雑誌等への投稿や、各種行事での講演・挨拶、政府への政策提言等を通じて、知事の考え方や政策を紹介します。

和歌山大学観光学部知事講義『観光を考える』第4回「中心市街地活性化」

 今日で私の講義も最後です。今日は中心市街地の問題です。観光と中心市街地の問題は遠いかもしれませんが、応用問題としてやってみたいと思います。このレジメにありますが、『地方都市の現状と課題』、それから『他都市の状況』、『中心市街地活性化への取組』、『和歌山市と田辺市の取組』、そして『和歌山県における取組』というのを議論して参りたいと考えております。材料は、この横長の資料です。この横長の資料を見ていただきながら、先程の第1回目のレジメの特に2番目『経済学を考える際に有用な項目』を横軸にして考えていきたいと思います。

地方都市の現状と課題

  まず『中心市街地の空洞化』ということです。和歌山市の中心市街地の小売販売額というデータがあります。1997年から2004年にかけて、なんと40%も低下しています。97年というと、かなり中心市街地もダメだなぁという時代ですから、もっと前に比べると、もっと悪いのかもしれません。一方、和歌山市の中心市街地の人口はどうなっているかというと、14%も低下しています。結構減っていると思いますが、小売販売額はもっと減っています。ここで言えることは、需要家(人口)の減りよりも売上の方が減ったということです。すなわち、大規模小売店舗が市外にどんどんでき、市内の人も市外に買い物に行くという風になっているのだろうと思います。
 2ページは人口集中地区の変遷です。なぜこんな資料を出したかというと、これもレジメの論理で言うと『需要と供給』というところになります。需要というのは、この場合、土地です。土地の需要と供給ということを考えます。土地の需要というのは経済活動で発生します。つまり、「私はこの地域で働いているからこの土地が欲しい。家を建てたい。」或いは、「この土地で商売をしたい」ということで土地の需要があるのです。一部、投機目的でお買いになる方もいらっしゃるので、こんなに単純ではないのですが、土地の需要は何によって決まるかと言うと、経済活動の大きさで決まると考えてもいいのではないかと思います。経済活動というのは、人口で決まるのではないかと考えるかもしれませんが、人は働く所がなければ和歌山には住んでいられません。従って、和歌山がキープできるような人口の土地に対する選好、これが土地需要だと思います。
 一方、供給は何かと言うと、どこに住んでいいかということの関数だと思います。土地は有用な資源であるとともに、有限なので、利用に実は物凄いレギュレーション(規制)があるのです。そのレギュレーションを考えると、土地の供給というのは政策的に決定できます。従って、政策的に決定された土地の供給と、マーケットで決まる土地の需要の関係で土地の需給は決まり、そして価格が決まる。こういうのが経済学の『いろはのい』です。そこで2ページの図の青い所ですが、これは1970年に一定の人口集中があった地域です。それから赤い所が2005年に人口が集中していたところです。人口集中地区とは何かというと、『人口密度が1ヘクタールあたり40人の基本単位区が互いに隣接し、合計で5,000人以上となる地域』と定義がありまして、それで区分するとこんな風になるわけです。この資料を見て、皆さん何を想像したり考えることができますか。

学生: 広い地域で人が住むようになっていると思います。

知事: そうですね。人口集中区域が外縁的に随分拡大しているなと思います。それをばらしてみると右のグラフになるわけです。人口は少し減りましたが、大幅には減っていない。一方、土地の面積、市街化地域の面積が随分増えている。中心市街地は今すかすかしていると思います。なぜそうなっているかというと、人口がうんと減った訳でなく、土地の供給がうんと増えたからです。そういう風に考えると現象が非常に良く見えます。
 例えば、東京を考えると、人口密度が全然減りません。1990年代の半ばぐらいに少し減ったのですが、その後またITブームなどがあって、都会への再集中とマンションの再集中が行われて都心への回帰がされ、そんなに人口密度は減っていません。それは何故かというと、人口がどんどん流入してくるので、多少失くなったりしても、また増えてしまうという訳です。 ところが、和歌山県は残念ながら、人口をどんどん増やす力がなかった。一方、政策的に都市区域をどんどん増やすということはしてしまった。そうしたら、人口密度が減ってしまう。需給の関係から言えば当たり前ということになるわけです。
 その次のページを見ていただきますと、もう少し細かく見ています。これは和歌山市内の地区の1980年と2005年の25年間の人口増減率を調べてみたものです。赤い所はうんと減った所です。それから薄赤が少し減った所です。それから薄青が少し増えた所で、濃い青がうんと増えた所です。私が子どもの頃の和歌山の市街地というと、まさにこの赤い所ともう少し南の方の薄赤の所だったのですが、そういうところは基本的に減っていて、その外側に濃い青の部分、それから薄い青の部分、つまり増えている所があります。右下の西山東や東山東なんかを見ると、私が子どもの頃のイメージからすると人口が増えているのではないかと思っているのですが、大家族の農家が減って、人口が差し引きで減ったのかもしれません。しかし、新しい住宅地が増えて、田んぼが減ってきたなというのが一般的な印象です。ただ、このデータは1980年から比べていますから、私が子どもの頃の1960年~70年から比べたら、実は人口は増えているのかもしれません。
 このように、和歌山市全体がそんなに増えない中で、どんどん外縁的に拡大していったというのが分かると思います。
 では、都市が拡大するとどういうことになるのか。当然、真ん中の方がすかすかになって、新しい人が入ってこなければ、中心市街地の荒廃が起こり、外側はほどほどに栄えるということになるわけです。そういう現象が出ると共に、もう1つ市役所のマネジメントが大変なことになります。
 4ページを見ていただきますと、青森市は1970年から2000年の30年間に中心部から郊外部へ13,000人が移りました。その間に、投資的経費が増加しました。道路が84億円、小中学校が68億円、上水道が41億円、下水道が157億円、合計349億円の出費が嵩んだということになります。出費が嵩んだので、青森市の財政が随分つらくなりました。青森市は、コンパクトシティという考え方を標榜しています。青森市や富山市は、コンパクトシティのエースのような所です。それは何故かというと、「市民の皆さん、外側に広がってしまうとこんなに大変なんです」ということを市役所がPRしているわけです。もっと別の面で言うと、雪かきというのがあります。雪かきをするのも市の大切な仕事です。これをきちんとしないとネットワークも混乱するし、それから人々の命だって危ない。雪かきをやらないといけないのですが、広い地域をやると物凄く大変です。だから、「皆さん狭い地域に住んで下さい。そうすれば雪かきもきちんとしますよ」とこういうことを、数年前ですが市長さんが一生懸命やりました。
 何故かというと、広い街では、中心的な場所や幹線的な広い道まで行こうと思うと、市道をたくさん造らないといけなくなるので大変です。上水道・下水道もそうです。小中学校は、外側に人口がどんどん広がっていくと、その地域でも通えるだけの小学校を造らないといけなくなるし、中がすかすかになったからといって廃止にするわけにはいかない。小学校が2つ必要になると、建設費もかかるし維持費もかかる。人件費も校長先生を2人雇わないといけない。そういうことになります。こういう風にどんどん外側に広がっていくと、都市財政が困ってしまいます。どうして困るかということは、後で説明したいと思います。

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他都市の状況

  一方、そういうことを考えてコンパクトにするぞと言っている所もあります。これが5ページの熊本市です。熊本市は人口が70万人ぐらいで、和歌山市よりかなり大きいのですが、市街地の1ヘクタールあたりの人口密度が和歌山市よりずっと高いです。熊本市に行くために熊本空港に降り立ちます。そこから市街地までは36号線と書いた県道を通っていきます。この道は、分かりやすく言うと、和歌山市と岩出市の間の国道24号線みたいなイメージの道です。その道でびっくりするのは、道の周りにガソリンスタンド1つない。もちろん家も建っていないし、遠くに農業をするためのサイロや小屋はあるのですが、ほとんど全部農地です。そういう中をずっと走って、「いつまで経ってもこんな感じだなあ」と思いながら、高速道路をくぐり抜けて市街地にやって来ると、急に賑やかになってくる。一方和歌山市はどうかというと、いつまで経っても周りに大規模小売店舗があったり、うどん屋があったりして、そのうち岩出に入って、また賑やかになってくるわけです。どこまでが街でどこまでが街でないかの区分があるのが熊本市で、ないのが和歌山市ということになります。
 この中で、ヨーロッパの古い街に行かれたことのある方、手を挙げて下さい。
 ヨーロッパの街について、どんな印象をお持ちになりましたか。

社会人: 城壁等で囲まれていて、古い建物がたくさんあって、昔からの状況を保っているという感じがします。

知事: 今、1番初めにキーポイントを言われたのですが、城壁というのがありますね。日本では、城壁の中に相当する古い街には古い建物があるけれど、外側にマンションが建っていたりお店があったり、なだらかに人口密度が減っていくというのが日本の姿だと思います。ところが、私はミラノに住んでいましたが、城壁を一歩出たらスパッと何もなくなる。それで農地しかなくて、そして空港がある。熊本にある意味近い、もっと極端ですけれども、そういう所がほとんどです。ミラノはどんどん発展したものですから、どうしたかというと、ミラノ県の中にミラノ市以外に市街地を造るわけです。それはずっと離れた所に、独立して城壁の中みたいな街を造って、その中に新しいアパート群とか一戸建てを造って、真ん中にショッピングセンターを意識して造って、それで学校や役所も造り、周りを住宅で取り囲んで街を造ってしまう。そういうのが、ヨーロッパの街の造り方です。日本も実は制度は一緒なのですが、随分違う設計でできている所が多いです。非常にヨーロッパ的なのが熊本市だと私は思っています。
 もう1つ、串刺し団子型というのがあって、6ページの富山市です。富山市も和歌山市と同じように広がってしまったのですが、富山市はコンパクトシティ構想に賛成だと言っています。あまり広がると街をマネジメントできないのでコンパクトシティにすると言っています。しかし、こんなに広がってしまったものをどうやっていくかと考えて、トラムを考えました。新式のトラムを造って、トラムの駅の周辺にもう1度市街地を集中させる。串がトラムとすると、集中させた市街地が団子です。そして、団子の周りに空白地帯がたくさんできるわけです。もともとの富山の市街地がこの図のピンクの箇所だとすると、集積を作って衛星的に配置するように努力しています。例えば呉羽と書いている所にも緑の所がありますが、この緑の所にはあまり広がらないようにして、呉羽と富山の間をトラムで結んでいます。こういう設計思想をしているのです。従って、広がってしまったけれど、それを活かしながら、外側にこれ以上広がらないようにしつつトラムで結んで、街としてやっていこうとしています。

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中心市街地活性化への取組

 では、先程、財政が大変だと言いましたが、なぜ財政が大変か。それは市長がダメだからだとか、箱物をいっぱい造ったからだという議論が多いのですが、私は、そうならざるを得ないようになっていると思っています。これは、制度の持っている意味で、例えば経済学で言っても、『制度と意思決定』、それから『需要と供給』もそうですが、そういうものが結構大事じゃないかと思います。制度とは何かというと、意識するしないに関わらず、都市計画制度というのが、全ての市町村にかかっています。その都市計画制度がどうなっているかというとほとんどの人が知りません。しかし、ヨーロッパの制度も日本の制度も実はほとんど一緒なのです。運用がいささか違うだけです。外へ広がった時に、この制度に従って、地方公共団体の義務ばかりが増えて、それで破産に瀕するということにほとんどの人は気づいていません。これが問題だと私は思っています。
 7ページを開けて下さい。都市計画法がどういう風になっているかというと、都市計画区域というのを作ります。これは、総合的に整備、開発と保全を行う区域です。どういうことかというと、整備、開発は「ここは使いましょう」という所で、保全の方は、「ここは都市的に使わないようにしましょう」という所です。このように、使わないということも含めて都市計画なのです。そのために県がマスタープランを作ります。都市計画区域の整備と開発や保全の方針を決めます。あまり広がらないようにしましょうとかそういうことを決めますが、実はほとんど意味がありません。次に、その中で市町村都市計画マスタープランというのを作ります。ここはどういう風に使うんだというようなことが、資料に『きめ細かな計画』と書いてありますが、実質的な意味のある計画がこのレベルになります。
 それで『土地利用』というのを考えると、まず、土地利用の方法が、市街化区域と市街化調整区域というのに分かれます。市街化区域というのは市街化を図る区域です。それから、市街化調整区域というのは、市街化してはいけないと考える区域です。それを仕分けしましょうというのが、最も大事な基本です。さらに、市街化といっても色んな使い方があります。例えば住宅にするか工場にするか。あるいは商業地にするかビジネスゾーンにするか。色々な用途があるわけです。例えば、住宅地と決めますと、住宅地の中で工場は作れません。それは何故かというと、うるさい可能性があるからです。「住宅地は静かな所という風に市が保証するから、皆さん安心して住んで下さいね」というわけです。「ここは工業地帯だからうるさくても仕方ないですよ。住むのは別の所にして下さい」。そういう風に決めることもできるわけです。決めたら、例えば、工業専用地域に家を建てたいとしても、「ダメ」と言われます。住宅地で工場を建てたいと言うと、「ダメ」。それから、市街化調整区域に家を建てたいと言うと、「ダメ」と言われるわけです。
 今度は、『都市施設の整備』というのがありますが、都市に必要な施設を整備する義務が自治体に発生するわけです。例えば、「道路を造りなさい」。それから、「下水道を造りなさい」。「公園、緑地はこれぐらい造りなさい」。こういうことがルールで決まっているわけです。そうすると、市街化区域をたくさん増やしてしまったら、住民は、「自分の所に下水を引いてくれよ」、「水道を引いてくれよ」と言います。すると自治体は拒否できません。そうすると、栄えている街以外はどんどん貧乏になってくるわけです。なぜなら、物凄くコストがかかるからです。そうして、市役所の財政が逼迫するというわけです。
 それから、もう1つは、「街を意味づけしていこう」という工夫もあります。これは例えば、土地区画整理事業あるいは市街地再開発事業、あるいは地区計画、景観地区等々、たくさんあるわけです。例えば、景観地区では、「これは景観を良くする所だから緑をたくさん残して下さいね」というレギュレーションが発生します。地区計画は住民と一緒に作らないといけないのですが、地区計画を作ったところでは、色制限とか高さ制限とか、そういうことも決められるわけです。そういうことを都市計画は決めています。それから、土地区画整理事業というのは、いったん複雑になった街をもう1度作り直さないといけない時に、1人の人が抵抗してできないというのは困りますから、そういう人に「従え」と言ったり、そのための補助金を国からもらってきたりということができる制度です。市街地再開発事業はそれに近いのですが、さらに上に伸ばして再開発をします。そこまで全部計画を立てて、レギュレーションも強化するけれども、代わりに補助金を与える。そういう一連の法律です。
 そういう地区を決めるには、市町村決定と和歌山県決定があります。県は市街化区域と市街化調整区域を決めることができます。しかし、現実にはどうなっているかというと、市町村が「こういう風にやりたいんだ」といって持って来るものを追認しているだけです。なぜならば、それをノーという理屈があまりありません。つまり、「街をこういう風に使いたい」というのは市民が決めることであって、県が勝手にこうしろと決めるのは非常に難しい。だから論争したら負けます。実は和歌山市の場合は市街化調整区域というのは結構広くとっています。次の8ページに図がありますが、白い所は市街化調整区域です。けれど、この白い所にも家が建っている所はたくさんあります。これは、条例で、市街化調整区域の中に、事実上の市街化区域を作ることができ、それが多用されているからです。そういう風になっている上で、例えばここは住宅地にしようとか工場にしようとか、用途区域を決めるのは、市町村の権限になります。景観地区を決めるのもそうです。そうやって区割りや利用方法を市町村が決めるわけです。
 さらにその中に、今度は道を造らないといけません。その道の一部は県道ですから、県道も都市計画の一部です。ですから県は市町村といろんなものを議論しながら決定します。イニシアチブは市町村にあるけれども、県も無責任なことはできないので、主要幹線道路等の県が持っている都市施設については、きちんと計画を立ててやらないといけません。和歌山市の場合も、都市計画道路というのはたくさんあります。未完成でそのままになっている所もあります。実は、県がやるべき所と、それから市がやるべき所を約束事で昔に決めているわけです。県がやっている所でも未完成の所はたくさんありますので、これは大変だと言って早く終わらせようとしています。ただ、市の担当する所には「こんな4車線の歩道が付いた道路なんてこんな所にいるのか」というのも今となってはたくさんあって、これは早く都市計画を変えないといけないんじゃないかと私は思っています。
 8ページは、要するに表向きの図です。表向きは、和歌山市は都市計画がこんな風になっています。色がついているのは、和歌山市が決めた用途区域です。用途区域がこの通りになっていれば、中心市街地の問題というのは、和歌山市の今の人口の減少具合から見れば全く問題がないはずなのですが、本来ならば色のある所に集中させるべき貴重な人口資源を、条例でどんどん可能にしてこの白い和歌山市の全域にばらまいてしまっている。それが大変な理由かなと思うわけです。
 これまでの所で、ご意見とかご質問はありませんか。

和歌山大学の先生: おそらく学生の多くは、ヨーロッパの街や日本の街が同じような法律や状況があったのに、なぜこうやって日本の街は拡大してしまったのかというところの疑問が大きいのではないかと思います。

知事: 先生がおっしゃられたことはとても重要な議論なので、その議論の答えを皆さんに考えてもらいましょう。なぜ、ヨーロッパと日本は同じような制度を持っているのにこんなに違ってしまったのでしょう。

社会人: 風習というか、民俗によって考え方や根本的なものが違うのかなという風に思いました。

学生: ヨーロッパの街を見るとどこも整っているので、日本の街は統一感がないという気がします。

社会人: 都市計画道路を都市計画決定した時には、何年先に道路を通すということで、そこに家を建てられないように規制していくのが本来ですが、それを緩くしてしまったということと、過去にドーナツ化現象で安い広い土地を求めてどんどん周辺部に行ってしまって、そこが例えば開発業者が破綻して、インフラ、上下水道、電気、ガス全てがアウトになり、最後は「行政が面倒をみて下さい」ということになりました。今になって、コンパクトシティという考え方が良く分かるようになって議論されている中で、方向性としてきちんとしていくべきだと思います。

知事: 本来なら止めるべきところを皆が望むので外側にいってしまったという感じがありますね。では、なぜそういう風になってしまったのでしょうか。

社会人: 罰則とか、調整区域に造った場合に工事を差し止めるとか、厳しい運用がなされなかったからでしょうか。

知事: では、なぜその運用をしなかったのでしょうか。 また、経済学のペーパーに戻っていただきまして、人間の論理の話を考えたいと思います。全ての事象は『人間の行動の結果』だと言えます。だから、人間の行動、つまり制度の運用によって、一方は厳密な垂直型の街ができ、一方はだらだらとした街ができたということです。その次に、『合理的行動をする人間』という前提で経済学は考えます。そうするとこの場合、本当に『合理的行動をする人間』ということで説明ができるかどうか。私はできると思います。それについて、そちらの方どうですか。『合理的行動をする人間』ということをヒントにして、なぜ、そういう行動をするようになったかを説明して下さい。

社会人: 例えば、バブル経済でどんどん人口が増えていた頃は人口減少という話もあまりなかったと思います。経済的にもどんどん成長していくということで、市街地を増やしていこうという欲求が出て、都市計画のエリアを増やすという理屈付けをしていたのかなと思います。

知事: この問題には2つの要素があります。1つは、みんなが「やってくれ」と言った。だから、やることが合理的だと思った。合理的というのは今おっしゃったように、市がもっと発展すると思った。今のうちに多くの地域を市街化区域にしても大丈夫だと思った。これが1つの合理的な行動です。もう1つは、たぶんみんなが「やってくれ」と言った時に、一方で楽観的な人口の拡大の見通しがあるので、そこをやってあげたら、市の当局の方も嬉しいし住民も喜ぶわけです。そういう意味で、「合理的行動」をした結果、こういう街ができましたというのが正しいと私は思います。
 ところが、その「合理的行動」というのは、十分な合理的行動であったかという問題があります。「本当にそんなに伸びるのかな。見通しが外れたら中がすかすかになってしまうぞ」、或いは、「それをやった結果、都市施設を造らないといけないことになるぞ」ということについて、合理性がなかったのではないか、つまり論理回路が欠けていたのではないかと思います。すなわち、「都市というのは、規制して制限しないと滅茶苦茶になってしまうぞ」ということと、「都市施設を造る義務が発生してしまうぞ」というこの2つの考えがなかったら、「やってくれ」と言われて、「良し」と言ってやってあげるのは、その限りでは合理的なんですね。ですから、その結果どんどん街が広がってしまったのだと思います。
 それからもう1つは、政治過程というのがあります。例えば、市長さんは選挙で選ばれます。それから市役所の職員は常に市会議員の圧力を受けています。その市長さんが選挙民に頼まれて、市会議員が選挙民に頼まれて圧力をかけてきた時に、ダメというのは結構大変なんですね。それでたいしたことないだろうと思って「良いですよ」と言っていたら、どんどん広がってしまった。その結果、先程言ったように論理回路が2つ不足しているものだから、凄く広がってしまった。それでも、バブルがずっと続き、和歌山市がものすごい勢いで人口が増え続けていれば、たぶん、この問題は顕在化しなかったと思います。周りにたくさん市街地を造っておけば、むしろ市内の過密が解消されて良かったかもしれません。しかし、現実にはそうではありませんでした。
 だけど、今は少なくとも我々は、「これは大変だ」ということを分かっているわけです。分かっているのならばせめて、現在を見る目、現在を見る理性は持っていなくてはならないと思います。今、中心市街地を大事にしますという政策がたくさんあります。この政策は5年ほど前までは、「商店街をどんどん盛んにしよう」とかそういうことでなんとかしていけるのではないかと経産省がいわばソフト事業を行っていました。しかしあまり成功しませんでした。あたり前です。「これではいけない。都市計画を忘れていたら、どんどん中心部がすかすかになっていく」と思い始めた結果、『まちづくり三法』(改正都市計画法、大規模小売店舗立地法、中心市街地の活性化に関する法律)というのができました。それで国は、「中心市街地の活性化を助けるけれど、それにはこの都市計画をきちんとし、外縁的に外側にどんどん広げるということをやめますと約束して計画をきちんと立ててこないと応援してやらないぞ」と言いました。これは極めて合理的な決定だと私は思います。
 その時に和歌山市は、「中心市街地を大事にするぞ」と言いました。中心市街地を大事にするためのいろんな計画を立てて市民にアピールしました。しかし、現実にやっていることは、どんどん外側にいろんなものを建てさせているわけです。そうすると、やっていることが、かなりレベルの低い次元で矛盾しているということになります。ここはきちんと整理して、言っていることとやっていることを合わせる論理的な行政をしなくてはいけないことは明らかだろうと思います。
 例えば今でも、農地転用は県が留保している権限ですが、県に「農地転用させて欲しい」という話がたくさん来ます。それは、農地転用させないと農地を勝手に他の施設に使えないからです。「農地に家を建てさせてくれよ」と来るわけですが、それは市役所に都市の作り方を確認しないといけません。その地域をもっと外縁的に拡大させようとしているのか、中心を大事にしようとしているのか、どちらかを確認しなくてはいけません。「こういう市の設計思想だからそこは農地転用して良いですよ」という話ならば、県はどんどん協力するということになります。
 しかし、外縁的に広がってしまった和歌山市や、或いは全国の至る所にあるすかすかになった中心市街地をどうしようもないのかというと、決してそんなことはないと私は思っています。それは、またこの都市計画法の中に色々なヒントがあります。
 中心地がすかすかになるということは、そこの地価が下がるということです。それから空き地がたくさん生じてくる。未利用地が発生してくる。そうすると放っておけばそこが完全な廃墟になって草だらけの地域になるから、今度はそこが中心地ではなくて外縁的に拡大する対象になります。だけどそれを待っていては100年も200年もかかって街が滅びてしまいます。そこで、そのスピードを人工的に早くしてやる。これが市街地再開発事業です。ばらばらになって廃れてきたところを集めて、上に広げていきます。昔は地価が高かったのですが、今は中心市街地がすかすかになって安くなっているので、採算がどんどん合うようになっています。そういうことをどんどん進めることによって街の真ん中にもう1度有利な形で自発的に人を呼び込むことができるのです。
 これが9ページにあるような再開発事業です。例えば、富山市や岡山市では、ちょっとした空き地があると市役所の職員が飛んでいき、1軒だけ残っていたら、「ビルを建てるのでその中に住んで下さい」とどんどん説得に行くそうです。和歌山はどうなっているかというと、そんな話は聞いたこともありません。こういう中でようやく初めての市街地再開発事業ができました。それが、このけやき通りにあるビルで、事業費を皆で出し合ってやろうということになったわけです。
 それから10ページは、街全体を市役所が再設計したという田辺市の例です。施工前はこんな狭い道で危ないし大変だった所が、施工後は下の写真のように、道があって歩道があって、その横に家並みを統一したような形の家を皆で建ててもらいました。これに対して、和歌山県なども補助をしています。こういうことをして、この辺は今良い感じになっています。だけど問題は、さらにこの外側に物凄いものをどんどん作り始めると、「街の真ん中に車で行くと駐車場を探すのが大変だから、外側で買い物した方がいいよな」と言ってがたがたになります。さっき言ったような、和歌山市が辿ったような危険性はあると思います。

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和歌山県における取組

 そこで和歌山県は、和歌山市も田辺市も県にとっては大事な街だから、都市計画的な考え方をみんなと共有して、街の設計を市役所や住民にやり直してもらうように、或いは考え直してもらうようなきっかけを作ろうとしています。考え直してもらったら、県がやるべき県道整備などの事業や補助金で支援しますと言って、街や住民に持ちかけている訳です。先日、海南で和歌山大学の足立基浩先生の司会で、県の都市政策課長も入り、この11ページのプログラムを活用してシンポジウムをやりました。黒江の伝統的な景観を活かして街を設計するということを一生懸命やっているので、県も応援しています。
 それから、12ページを見て下さい。先程から、都市計画で全部説明ができると言ったのですが、実は少し制限があります。私有財産に対する公的な関与についてはそんなに簡単ではありません。日本というのは、純粋資本主義的なところがあって、私有財産に対して公的な関与は物凄く制限されています。これはどういうことかというと、例えば、街の真ん中に所有者がなくなった廃墟みたいな家があります。その両隣は今でもお店をやっています。昔は、花屋、八百屋、ケーキ屋と並んでいたのが、八百屋だけやめてしまい廃墟になってしまいました。八百屋は誰もいないのかというと、息子が大阪で医者をしています。固定資産税くらいは払えるし、親の仏壇もあるので壊すのは嫌だとずっと廃墟を置いています。「いい加減に壊してケーキ屋と花屋の駐車場に貸し出したらみんな得するじゃないか」と思う時に、どうするか。今までは手も足も出ません。その時に、住民がみんなこぞって「何とかしてよ」と言ったら、県が関与して、まず勧告をする。それが断られたら命令をする。最後は代執行をする。代執行をして更地になったら地価が上がりますから、上がった分だけ県がお金を請求する、という凄い制度を作りました。これは我が国の民法(財産法)の体系上、驚天動地の新しい考え方です。これに近いもので、代執行やお金の請求がないものは市町村レベルであちこちにあるのですが、費用はみんな行政がかぶってしまいます。そうすると、下手をするとモラルハザードになるということで、こういう工夫をしました。県レベルでも初めての制度です。これは国交省が法律で作るべきだと私は思っていますが、言っても無駄なので、自分で作ってモデルを示したわけです。今年の1月1日から施行しています。
 それから13ページ。人がいなくなった分だけ緑を増やそうというものです。やはり廃墟で汚いよりは、緑が溢れ心が和むような街を作った方がいいと思っています。これは、植樹祭の1つのテーマでした。植樹祭は森づくりもあるのですが、緑に親しもう、街には緑、森には緑、そして林業を盛んにしよう、というのが全体のテーマだったので、植樹祭の記念条例としてこういうものを作りました。県も助成策を持っています。だから、街路樹を植えたいとか、ここを緑化したいとかそういうプロジェクトがあれば、コンペスタイルでお金をつけてやってもらおうと考えています。
 そんなことをやって、いろんな市役所や町役場を助け、県全体で街をうまく生き生きとさせるようにするためには、経済学の基本に戻って、土地需要のもとになる労働需要を県全体でつけないといけない。つまり産業を振興させるということが、県の仕事だと思って一生懸命やっています。 先生が良い質問をしてくれたので、良い議論ができました。
 あと5分ありますが、何か質問はありませんか。

和歌山大学の先生: どうもありがとうございました。これだけの内容のことを現職の知事さんから授業で聞けるというのは非常に幸せなことだと思います。最後の景観支障防止条例には私も非常に注目していまして、日経新聞等でも大きく取り扱っていましたが、何故かというと全国初なんですね。廃屋ができたら強制的に撤去できる。知事が仰ったように、財産権が極めて強いので、法律的には訴えられる可能性もありますが、そこをこういう形で突破口を作ったというのは、以前、福島県が郊外型店舗がたくさんできすぎた時に、郊外型店舗の抑制をしようと県が始めた経緯があって、それに似たような、それ以上に強い条例だと思います。逆に言うと、日本の景観を綺麗にしていくためには、ある意味これくらいのことが必要なのかなと思います。今後、国交省がどのように動いていくのか注目しています。
 あと1つ、知事は経産省出身ですが、非常に都市政策に熱い方だと以前から思っていたのですが、それはどうしてですか。

知事: 私は経産省出身でかつ経済学部出身です。経済政策がうまくいくかどうかというのは一言で言うと需給です。経済活動、合理的活動、そして需給、それから他にも色々あるのですが、そういうものに乗っていないとどこかで無理が来ると思います。また、この言葉は経済学用語とは違う意味で使っているのですが、「一般均衡的に考えないとうまくいかない」と常に思って仕事をしています。もう1つ、実は私は国土庁にもいました。国土庁官房総務課筆頭補佐なのです。通産省の人も少しいましたが、ほとんどは今の国交省、すなわち建設省、農水省、自治省の人でした。それから、下河辺淳さんという都市計画の専門家に憧れて、都市工学科に入って、まちづくりや国土計画をやるんだという青雲の志に満ちた人達がプロパーでいました。皆、仕事は忙しかったけれど、ああだこうだと議論をしました。それまでの私のメニューにないことですから、こういうことをみんな教えてもらったのです。
 私は、都市計画が日本で力を持たなかったのは、日本の1つの宿命だと思います。それは何故かというと日本人の心が優しいからです。強烈なことをやるのを決めかねるわけです。断ることができないから、少しずつ妥協していくとわけが分からなくなってしまう。せっかく持っている権限を「ダメなものはダメだ」と言えない。そういう意味では、国民性もあるのだと言われた方の議論は正しいのかもしれません。こういうのは、やはり日本人は下手なんですね。だけど、制度を西洋から導入したのにきちんと運用しなかったのはやはり問題だと思います。それには、都市工学という、こういうことを一生懸命科学的に研究する学科がありますが、その都市工学が下河辺さんに影響されすぎたなと思います。もっと言うと、田中角栄さんに影響されすぎたというところもあると、私は思っています。本来ならば、こういった「都市計画をきちんとしろ」とか「建築基準を守れ」とかいうことをヨーロッパの都市工学の人達は中心になってやっている。ところが、我が国の都市工学の国交省に来ている人なんかは、みんな、田中角栄さんや下河辺さんの理想に従った列島改造計画を計画的にやって日本を発展させていこうということに青雲の志を燃やした人達です。そういう人達が役所にたくさん入って、都市計画は、それにあまり情熱のない建設省事務官に任せているわけです。それで、建設省の人々が「道路は造るぞ、河川は造るぞ」と言う人はあっても、「都市を空洞化させないぞ」というような人はいない。それも問題かなと思います。

社会人: 行政の思いと市民の思いが一致すれば、全て和歌山市もうまくいくと思うのですが、実際、業務をやっていく中では、なかなかうまくいかないところもあると思います。そういったところをどこで折り合いをつけるか。どういったバランスを取っていけばいいのか。知事としてどういったバランス感覚を持っているのか教えて下さい。

知事: 「いい加減なことを言わないと選挙で通らないと言うのなら選挙で落ちろ」、「間違ったことを言って人気を取って選挙に通ろうと思うな」、「何が間違っているかは論理的に考えろ」、これだけを私は意識しています。どういうことかというと、住民はみんな自分のことを考えます。それから全ての情報が与えられているわけではないし、市役所や県庁のようにプロの知識を全員が持っているわけではありません。だけど、住民の要望は部分的にはしごくもっともであっても、「そんなことをしたらこんな風になりますよ」ということを考えられるのはプロしかないわけです。そのプロが正しいことをきちんと説明しなくなったら困るわけです。「こうしたらこういうことが問題になりますよ」ときちんと説明をすれば、市民は納得してくれるのです。分かってくれるように勇気を持って説明しよう、そのために何が問題となるのかきちんと勉強をしようということです。それでも嫌われると嫌だというのなら、そんな奴は落ちろということです。

※PDFファイルの閲覧・印刷には、アドビシステムズ社が配布しているAdobe Readerが必要です。 お使いのパソコンにAdobe Readerがインストールされていない場合は、ソフトウエアをダウンロードし、インストールしてください。

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