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寄稿・提言・訓辞・挨拶集

新聞・雑誌等への投稿や、各種行事での講演・挨拶、政府への政策提言等を通じて、知事の考え方や政策を紹介します。

知事リレー講義

平成22年4月27日 立命館大学/京都府

 皆さんこんにちは。立命館大学へ来るのは今回が3回目です。平成18年12月に知事に就任し、3年半になります。1回目は、私の前の知事が逮捕された舞台となったのが公共調達の世界、すなわち建設談合でしたので、その制度をどう変えたのかについてお話ししました。それは立命館大学側からこのテーマで話してください、ということだったと思います。2回目は、和歌山の政策ラインナップができた頃でしたので、和歌山を元気にするためにどういう政策をするのか、その政策のバックグラウンドなどについてお話ししました。3回目になると同じことばかりでは面白くありません。それから、仲間の知事さんが立命館大学に呼ばれて皆さんの前で張り切っていろいろ話すと、みんな同じことばかり言うことになると思います。したがって、変わったことをしようと考えました。変わったことのタネの候補は2つです。「和歌山県オンリーワン政策」ということで、少し変わった政策を、少し嫌味を効かせながらオムニバス形式で話します。それからもう一つは、皆さんは大学生ですから、政策を経済学で切ってみて、経済学で見た時に地域政策あるいは地方公共団体の政策はどういうふうに見えるかということを少し話そうかと思いましたが、2つ目は少し難しいのではと思いましたので、やめました。前半の「オンリーワン政策」で話していこうと思います。私は性格的には嫌味の効いた人間ではなく、皆さんと同じように善良で紳士的な人間です。にやっと笑っている方がおられますが、笑ったのは「嘘を言って」ということだけではなくて、「自分はそんなに善良か」というようなことを思ったからに違いありません。ただ、皆さんの前でお話しする時は、私の本性をかなぐり捨てて、嫌味を効かせながら話していきたいと思います。

 レジュメを用意しました。一番上は「正義と理性の県政」です。ええかっこしいのように見えますが、わざと大上段に構えることで「常識の嘘」を浮き彫りにしたいと思いました。まず「情報公開」です。情報公開は絶対に正しいことだと思っています。なぜならどんなに優れた政策でも批判にさらされて反省しながら、おかしいと思ったら直していかないと、いつかは腐ってくると思います。そういう意味では情報公開をして、健全な市民県民の批判にさらされながら議論をしないといけない。一方、現実の情報公開を見ていると、ものすごくええかっこしい、ステレオタイプ、決められた情報公開の価値尺度によって新聞が良い悪いと書くとみんなが「そうだそうだ」と言う、そういうことになってはいないか。私が県庁に来た時に、情報公開で一悶着がありました。情報公開は絶対に正しいと思いますが、嘘の情報公開をポーズでやることで人気を取りたいとは全く思っていません。何をしたかと言うと、前知事がしていた交際費の公開をやめました。なぜやめたか。皆さんは私が交際費を使って、悪い人とこそこそ会うのを隠したいからだと思われるかもしれません。しかしそうではありません。まず、交際費とは何かを考える必要があります。交際費というと民間の交際費、税法上の交際費をイメージされるかもしれません。例えば、お得意さんと営業でお酒を飲んでその費用を会社につける。会社はある程度のところまでは見るけれど、それ以上は認めませんよとなる。そういう交際費だと一般の方は錯覚するわけです。私も最初は錯覚しました。前の知事は逮捕されましたが悪いことばかりしていたわけではありません。選挙の時に県庁のホームページを見て、こういう考えなのだなといろいろ見ていました。そこに交際費公開というページがあったので、「なかなかやるな」と思ってそのページを見ると、ほとんど何も載っていなかったのです。実は県庁の予算では、慶弔、例えばお葬式の時にお花を出すことは交際費です。弔電を打つとこれは通信運搬費になります。それから県庁がご接待申し上げる。今は官官接待はもうやってはいけないということになっているので、例えば何々省のお役人が来た時に歓迎の意を示すためにご馳走することはないのですが、そういうものは交際費ではなく食糧費になります。普通交際費でイメージするものは、ほとんど食糧費などほかの予算項目に入って、交際費は本当に限定されたものです。交際費という名前だけに着目してそれを公開して、公開度100%ですと言っているのは全くおかしいと。そういう嘘の行政を私はしたくないので、こんなものは廃止だと言うと、周りで聞いている記者の方はなるほどと思ってくれるのですが、外に出た記事は、仁坂知事は情報公開に積極的でない保守的な知事だということになりました。こういう風潮には私は反発したい。そうやって意地を張ってやせがまんをしながら行政をしたいと思っていました。しかし、よく話をしてみると、本当の情報公開をしたいと思うようになりました。そこでどうしたかと言うと、準備に少し時間はかかったのですが、私の全日程を公開することにしました。例えば今日は立命館大学に来てこのまま帰りますが、京都にも和歌山県として大事な方はたくさんいます。この前も堀場製作所の堀場最高顧問にお会いするために京都に来て、テレビ和歌山の「きのくに21」でたいへん立派な対談をさせていただきました。その後、堀場さんがご馳走してあげるということで、それはルールには反しないので、堀場さんのご自宅を改装したゲストハウスでご馳走になりました。そういうことを全部公開しています。今日は何々課が説明に来ましたとか、堀場さんにご馳走になりましたということがすべて書いてあります。それで、自費の場合は自費と書いてありますし、県庁のお金を使う場合は公費と書いてあります。全部公開して、疑問があるならさらに情報公開請求すれば、どこのお店で誰ということはすべて分かります。
 世の中には情報公開屋さんという人がいます。それから情報公開の時に意見を聴きに行くと、報道陣が役割を果たせたという人がいます。前者は情報公開してくれないと騒いで、してくれたらよしとする。そういう人たちがどういう情報を望んでいるかと言うと、情報を私にも分かるように整理して公開してくださいと言うわけです。そういう人たちに限って、2番目のマスコミなどに受けるタイプが多い。そうするとそういう人に気に入られようと思って行政庁は迎合するわけです。どう迎合するかというと、そのとおりやってあげるわけです。つまり情報公開で生の情報ではなく一次加工したデータを渡してあげる。その時に何が起こっているか皆さん分かりますか。ものすごくコストがかかっているのです。情報公開屋さんのために情報公開をしてあげる職員はものすごく忙しくなってほかの仕事はできません。それからいろいろな経費もかかります。100万県民に尽くすのが大事か、そのような1人に尽くすのが大事か、そういうことについて何の批判もなく受け入れているのが行政庁の姿ではないか。世の中にオンブズマンという人がいて、情報公開問題についてオンブズマンの意見を聞くと記事になるわけです。オンブズマンの人たちは皆さんが偉いと思ったわけでも何でもない。私は個人的に評価していますが、それは個人的なもので、選挙で選ばれたわけでもないし公務員としての規制がかかる人でもありません。それから立命館大学の先生のように必ずしもみんなから尊敬を集めていないかもしれない。しかしそういうところに意見を聞けばいいというステレオタイプ的発想ができてしまうと、常にその人たちに意見を聴きに行くルートができる。そうするとその人たちに媚びようと思って行政庁はせっせとそういう形で貢いでいくと。これははたして正義であるかということを皆さんはお考えいただいたらいいのではと思います。そうやって意地を張って理性とは何か、正義とは何かをいつも問いかけながら行政庁はやっていかないといけないと思います。その結果、人気が出るかどうかは分かりません。ですがそうしないと良心がとがめると思っている次第です。

 2番目は「公共調達制度改革」です。これは私が知事になる前、前知事が逮捕されました。それから宮崎県や福島県でも同じように知事が捕まりました。すべて官製談合、つまり談合に行政庁のトップが荷担していわゆる天の声を出していたわけです。これは当然独占禁止法違反ですし、競争入札妨害の罪にもなりますし、贈収賄にもなってくるということで罪は重い。その結果、官製談合や談合を退治することが公共調達制度のすべての本質であるという世論ができてしまった感じがありました。私はもちろんそんな不正をするつもりはないし、そういう不正なことは退治しないといけない。しかし退治した後に何が残るか、これが行政として考えないといけないことです。「ああすればこうなる」というのが大事になります。「ああすればこうなる」を考えないで、時代に迎合して官製談合をやっつけるんだとそればかり考えていると後で弊害が出てきます。例えば官製談合をやっつけようと思って厳しい競争だけを目的とした制度を作ると、厳しさに耐えかねて、ある公共調達に参加した企業が手抜き工事をして公共工事の質が、がたがたになる可能性がある。あるいは弱肉強食がきつくなる結果、地域に建設企業がほとんどなくなって、災害が起こった時に地域で助けてくれるような企業がなくなるかもしれない。それでいいのか、あるいは地域の雇用はどのくらい考えればいいのか。そういうことを全部考えるのが制度屋さんの本当の義務です。世の中は、談合防止すればいいから一般競争入札をどれくらい入れるか、それをどのくらい早くやるかばかりを考えました。全国知事会がこれについてリコメンデーション(提案)を作りました。私は一読してばかばかしいと思いました。ですが、マスコミはそういう時は全国知事会のリコメンデーションは絶対であると考えます。それをどのくらい早くキャッチアップ(導入)するかが評価のモノサシとなりました。しかし、本当はたいした話ではありません。なぜなら、一般競争入札によって談合を防止する、それは当たり前です。昔は、談合はあまり加罰的な罰と見なされなかったのですが、20年ほど前から独禁法違反で次々と捕まるようになりました。それを悪であるという規範を作っているのは法律です。独占禁止法という法律であって何も県庁の制度ではありません。独禁法をスムーズに守れるような制度を作ることは当然ですが、それと同時に先ほど言ったようなことも考えないといけない。その結果、我々は1年かけてじっくりと制度を練り上げました。京都大学大学院の佐伯先生、それから元検事の郷原信郎さんをご存じでしょうか。この方が公共調達制度について非常にバランスの取れたいい議論をしてくれていたので、こういう方々に集まっていただいて、私も参加してものすごいペースで議論をしました。それを現実の制度にした時に、どこかに弊害が出ているのではないか、「ああすればこうなって、こうなった時に分かってなかったことが出るかな」と考えて、まず制度の発表をして意見を聞いて、それから一般競争入札を県の発注全部に導入しました。多分全国で和歌山だけがすべての調達、つまり建設工事に関する調達、建設工事に関わるソフトに関する調達、非建設すなわち物品などの調達、それから清掃などの非建設のサービスについての調達、そのすべてに一般競争入札を導入しています。指名競争入札はゼロです。ですが指名をゼロにすると「ああすればこうなる」の議論で言うとどうなるか。指名というのは紳士クラブです。この人は間違いないと思う業者の中で勝負してもらっている。ですが、誰でもいいというのが一般競争入札であるとすると、例えば暴力団関係が入ってくる可能性もあります。それから能力のない業者が入ってきた時にその能力をどう審査するのかという問題があります。したがって、入学試験をしました。皆さんは厳しい入学試験をくぐり抜けてこの立命館大学で大学生をしておられる。ですからこの教室に入ってくる人を制限する必要はありません。皆さんは聞く能力がおありだから、ちゃんと聞いてくださる。しかしここに誰でもいいですと入れたら、その人達が騒いで一生懸命聞こうとしている人が迷惑をこうむる可能性がある。ですから入学試験がいるのです。入学試験として入札参加資格審査をきちんと行って、ほぼ1年かけて制度を整備しました。それでも微修正する必要があります。詳しくは県庁のホームページを見ていただくと分かりますが、その結果どうなったかというと、ほぼ当初の目標を達成しました。
 落札率というのがあります。ここにも「常識の嘘」があるのでこの議論をしたいのですが、落札率とは予定価格対実際の調達価格です。これについては私が知事に就任した時、実は県庁は知事の汚職にもかかわらず厳しい制度をやっていて、落札率は78%くらいでした。今はこれが87%くらいになっています。これは私からすると、競争が100%確保されているとすれば落札率が上がるのは何ら悪ではないと思います。ところが先ほどのオンブズマンという人のステレオタイプからすれば、落札率が高いということは何か悪いことをしているに違いない、なにか汚い制度を維持しているに相違ないとなるわけです。それは中身を見て議論すべきであって、競争がきちんと適正になされている限りにおいて、落札率は100%でもいいと思っています。論理的にはそうなります。なぜなら100%とはどうやって計算するかというと、建設工事に必要な材料を全部積算していくらいるのかを考えて、そこにマージンを少し乗せます。そうして計算をするとそれが100%になる。したがって落札率が100%になっても何ら不思議はない。それをうちの会社は効率的にやるからとマージンが少なくてもいいからと安くする。マージンがマイナスになるとこれはダンピングで独禁法違反です。まともな事業をさせようと思ったら、落札率の低さを誇るような政策をするということは明らかに間違いです。これが理性の県政ではないかと思います。

 その次は「直轄負担金と市町村負担金」です。我々は直轄負担金を払うのは反対だと言っています。この直轄負担金とは何か。「直轄」という言葉こそ、我が国の地方行政の貧しさを表している言葉だと思います。公共工事で国が自分でやる事業のことを直轄事業と言っています。国がやるものをなぜ直轄と言うのか、それは国がすべてを支配していることを物語っているからではないでしょうか。直轄以外はうまくコントロールしながら地方公共団体にやらせているから、残りの自分たちが本当にやっているものは直轄になるのではないでしょうか。ですから私はこの言葉は間違っていると思うのですが、それを言っていると言葉づかいに窮するので今日は使います。この直轄負担金を我々は払いたくない。国がやるのだから100%国が払ったらいいじゃないか。そのうちの一部は結構贅沢な国の工事事務所の建物代になったり、場合によっては退職金になったりしているではないか、そういうものは払いたくないと言っています。国も譲ってくれて少し額が減りましたが、まだほとんどのところで取られています。ところが私たちは市町村に対して同じことをやっているのです。県の工事をする時に市町村から負担金をいただくという制度を維持しているのです。一方で国に対して直轄負担金は払わないぞといいながら一方では悪代官のような顔をして負担金をよこせと市町村に言う、これは全く間違っていると思いませんか。そういうものは正義に反する、不公平である。それで和歌山県は市町村から負担金は一切取らないことにしました。負担金を取らないと収入が減りますから結構たいへんなのです。工事の全体の中で辻褄を合わせるにしても、ひょっとしたら工事全体の量が減ってしまうかもしれない。そういうことも覚悟しながら正義に従うべきではないかと考えてこれをやめました。

 続いて、「高速道路料金と地デジ政策」です。まず地デジ政策から言うと、自分がしでかしたことは自分で始末を付けろということです。これがきちんとした理性の行動だと思います。地デジ政策とは国が電波域を有効利用しようとして考えた政策です。それ自体は私は間違ってはいないと思います。デジタルにすることでアナログに割り当てられていた帯域を小さくして、残りをこれからのデジタル社会にうまく使おうという政策です。ところがその政策をしようとするにあたっては、電波を出している人たちに地上デジタル波を出すように言わなければなりません。テレビ局はデジタル波とアナログ波を両方出すと、両方の設備投資や維持費がかかります。ということで来年の7月からはアナログ波は打ち切ってよろしいとなった。放送界は規制産業ですから総務省の発言は非常に重いものです。問題は、総務省とテレビ局の2者の間で政策ができていないかということです。2者の間では合意してやればいいのですが、それ以外の人にはどうか。「ああすればこうなる」で、例えばこの京都でも山の中には電波の届きにくいところがあります。アナログ波と違ってデジタル波は山などに遮られやすいですから、届かないところがたくさん出てきます。アナログ波を届かせてテレビを見るために、これまで山間部の人たちは共聴アンテナを建てるなど、自己負担もたくさんしてこられた。それを先ほど言ったように国と大テレビ局の都合で政策変更してアナログ波を出さないようにする。そうすると山間部の人たちは泣いてもいいのか。それは正義ではないですよね。地上デジタルをやるのは結構ですが、そうするとこうなるのだから、その人達にちゃんとアンテナを建てる費用を弁償する。これが国のやるべき政策です。ところが国は何をしているかというと、地デジカとか言ってへんなテレビCMをやっているテレビ局を甘やかしている。こういうことしかやっていないのは明らかに無責任です。一時、和歌山県は一番不感地域が増える県だという分析があったので、今のような理屈付けをして攻めていきました。その結果、多少いろいろな優遇策が増えてきましたが、まだ100%ではありません。これは100%国の責任のはずですが、そうは言ってもお互い少しずつ譲らないといけませんので、我々は今の政策を基にして負担をしながら、山間部の人たちにも自己負担をお願いしながらテレビを見られるように協力していきます。ですが、心のどこかには100%国の責任だぞということは忘れてはいけないと思います。
 それから高速道路料金です。これを下げるのはいいことだと思います。それによって「ああすればこうなる」のこうなるで何が起こるか。1つ目は財政は大丈夫か、2つ目は今、総合原価主義でやっていたやり方からすると収入が減る分だけ次の建設が遅くなりませんかということ、それから3つ目は、競合する交通機関に影響が出ると思いますがどうですかということです。この3つについてすべて国は責任のある答えを用意しないといけない。そうしないと無責任になってしまいます。そういうことを用意しているとあまり思えないので、あちこちで困ったことが起こる。これは何も今の政権だけを言っているのではなくて、前の政権でも同じことがありました。和歌山と徳島を結んでいる南海フェリーという会社があります。これは、改定前の高速道路料金をベースにしてずっと設備投資をしてきて、ぎりぎりの営業を続けてきたわけです。それが土曜と日曜が1000円になってしまうと、お客さんがあっという間に高速道路に行ってしまうわけです。片方をよくしようと思うと何らかの問題が出てくる。南海フェリーにとっては、明らかに競争条件を急に変えられたわけですから、期待する利益を公権力が勝手に奪っていいのかという議論になります。私は訴訟すれば勝てるような気がします。それで大騒ぎをしても、国が言うことを聞かないものですから、しょうがないので和歌山県と徳島県で助成策を作って、競争条件が同じになるようにしました。しましたが、これは行為者がやるべきものだと私は思います。政策というのはすべていいことを狙ってやるものですか、「ああすればこうなる」ということを全部見越して、それらに対する少なくとも説明責任と、できれば手当を準備しないと責任のある政治とは言えないと思います。最悪は「ああしたい、でもこうなってほしくない」です。今、その最悪のことが毎日報道されていますが、今は地方行政を語る場ですから、外交を語る場でも沖縄政策を語る場でもないので申し上げません。

 次は「地方分権を見る見方」です。「地方分権屋と国際経済屋」とあります。これは縦割り行政の弊害というものがありますが、縦割り思考の弊害に我々はとらわれていないか。私はいま地方分権屋です。地方分権は素晴らしいと思う。なぜなら責任が我々にちゃんとくるからです。地方分権とは責任だと思います。自らの行為がどこかからの補助金などで行われているのもおかしいし、権限は自分にはないので、こうせざるを得ないというのもおかしい。私がやっている行為は自分が責任を持って、先ほどお話ししたような「ああすればこうなる」のこうなるまでを含めた総合的な責任を果たすというのが正しい政策だと思います。地方には国のコントロール下で、あるいは国の庇護の下に行われていることが結構たくさんあって、無責任が放置されることもありますから、やはりそういうことはやめた方がいい。そういう意味で地方分権は大切だと思います。ところが何でも地方に渡せばいいのかについて考えるとどうか。これは少し考える余地があります。例えば経済制度を考えます。公害対策や基準認証を考えると、例えばこの京都では京都府の制度で京都府知事が何でも決めればいいのかというと、地方分権の側から見ると何となく魅力的に見えてしまいます。ですが先ほどのように地方分権だけを見ていて、その影響が他の領域に及んだ時にどう見えてくるかを考えないと、ただの子どもです。その時もう一つの領域から見ると、例えばEUはなぜ統合しているか。これは制度を統一したいために統合しているのです。5000万人のフランス、6000万人のイギリスやイタリア、8000万人のドイツ、こういう誇り高き国々が1980年代頃は日本にこてんぱんにやられていた。なぜ負けていたかというと1億2000万人の国民が自分の市場をベースにして世界に打って出るのと、5000万人をベースにして打って出るのでは、1億2000万人の方が有利です。したがって自分たちも制度を統合しようと始まったのがEUだと思います。はじめは関税同盟でしたが、その後自由貿易協定という制度を手始めにどんどん周辺国と制度統合して、今や3億6000万人のほとんど均一な経済圏ができています。日本は明らかにその勢いに遅れました。アメリカはNAFTA(北米自由貿易協定)を北米圏で作っています。それからメルコスール(南米南部共同市場)が南米にできています。またASEAN(東南アジア諸国連合)が同じような制度を作っている。中国や韓国も自由貿易協定を作って制度を自国と同じように他の国に及ぼせるようにするということをどんどんやっています。日本でもEPA(経済連携協定)を一生懸命やっています。それは制度を統一しておかないと企業がマザーカントリーで活動できる範囲が小さくなったら力が出ないということがあります。ですからそこを大きくすることによって、例えば研究開発においても、小さな京都府のレギュレーション(規制)にしか適合しない研究開発を行うのと、日本に通用する研究開発を行うのと、それから世界中同じ制度でどこへでも行ける制度で研究開発を考えるのと、コストパフォーマンスが全然違います。研究開発にたくさんのコストをかけられるわけです。そういうことができる地域にいる企業と、小さなところでたくさんの研究開発をばらばらにしないといけない企業とではパフォーマンスに差が出てきます。ですからEUは統合し、自由貿易協定が広まり、経済連携協定で日本も追いかけている。これらを考えているのが国際経済屋です。国際経済屋はそのことで一生懸命外国と交渉しています。総理大臣もうまく進んでいるという報告が上がってくると喜ぶ。一方で地方にできることは地方でということで法律の上書き権をどんどん認めてしまうと、例えば選挙に勝ちたいと思う知事がいて、人気をとるために環境規制をうちだけ厳しくしますと言うと、先ほど説明したような経済的な条件が各県で違ってくるわけです。それでいいのかを皆さんは考えないといけません。地方分権屋のセンスだけで生きている県が、国際経済屋から見ると勝手なことをする。国際経済屋は地方分権屋がやっていることに全く関心がない。こういうことで縦割り思考の弊害が日本に広まれば、諸君達がおじいちゃんおばあちゃんになった時の日本は未来がないと思います。

 それから、「教育委員会の人事権」です。これも地方分権の観点からすると全く違うことを申し上げます。国から地方に、さらに県から市町村にという流れが地方分権のフィロソフィー(哲学)です。教育委員会の人事権は府県の教育委員会が一括して教員の採用をしています。京都市は政令指定都市なので独自にしていますが、その他は京都府がやっています。和歌山県も和歌山県全体で教員採用試験をして、その希望を聞きながらあなたは和歌山市に行きなさいとか、あなたは何年間か北山村に行ってくださいと人事異動しています。それを和歌山市のような中核都市、和歌山市は40万人の都市で和歌山県は100万人ですから人口の10分の4が和歌山市ですが、その中核都市に教員の人事権を移せというのが地方分権改革推進委員会の中間報告に出た意見でした。それに反応した知事はほんの少数で、多分声を上げてかみついたのは私だけだと思います。地方分権屋からすると「いいことだ」となりますが、先ほどの「ああすればこうなる」の論理でいうと、和歌山市以外だけで働かなくてはいけないとなった時、はたして和歌山県にどのくらいの若者が奉職してくれるか。和歌山市の子どもも北山村の子どもも私たちは同じように優秀な先生に教えてもらってほしいと思っています。そうなるとできるだけ多くの人に和歌山県で働いてほしい。和歌山市もあれば北山村もある。将来例えば家庭を持てば和歌山市で働いてもらってもいいよ、でも新進気鋭の時は北山村でやってくれないか、あるいは都会の生活に疲れてきたから北山村にと言うなら中堅で行ってもらおう。そういうことを考えて人事ができるところと、あなたは和歌山市だけですよ、残りの人は和歌山市には奉職できませんとなったら、はたしてこれまでと同じくらい立派な人が和歌山県に奉職してくれるか、皆さんはどう考えますか。そういうことを考えないとこの制度の正否は分からないと思います。私の思い過ごしかもしれません。和歌山市には興味がなくて郡部に興味があるからどんどん行ってやろうという人がいて、そういう人の方が優秀である可能性もなくはありませんが、どうも違うような気がするなと思ったので、そういうことも考えてちゃんとやろうと言いました。それは地方分権のメインの流れ、あるいはステレオタイプの流れからすると反逆であったとしても声を出して、和歌山県の田舎の地域にいる子ども達を守るのが私の仕事だと思います。

 それから、「新しい経済政策」のうち「和歌山で働きませんか」プロジェクトです。これは何を言いたいかというと日比谷公園の派遣村を批判しているわけです。平成20年10月に日本はたいへんな経済ショックに襲われました。その時に非正規雇用の方々がいっぺんに世の中に放り出されました。放り出された人たちをどうやって救うかということで、マスコミの寵児になったのが日比谷公園の派遣村でした。炊き出しをするとかかわいそうにと言って何かあげるとか。私は、その人達が本当に飢えている状態ならそうしたらいいと思います。しかしそこで起こっていることは何かというと、非正規雇用の方々がいま食べられないわけではありません。数ヶ月後には蓄えがなくなるかもしれない。そうなる前にどうやって次の職を探してあげるかが、為政者が本当にすべきことです。それを和歌山県はやりました。和歌山は決して繁栄しているところではないので、皆さんのイメージからするといい企業はないのではと思われているかもしれません。しかし、いい企業はたくさんあるのです。ただ、イメージで損をしているものですから、就職が容易な時期は大企業に優秀な人をとられてしまって、なかなかいい人を雇えないのです。それならば今こそチャンスだと。まだこのご時世でも雇ってもいいという企業に登場してもらって、ホームページで全国で職を失っている人に提供しました。それを見て来られた方と面接して、この人ならという人がいたら和歌山で恒久就職してもらおうじゃないかと。ですから「和歌山で働きませんか」プロジェクトです。その姉妹編に「和歌山で農業しませんか」、「和歌山で福祉・医療の仕事をしませんか」、「和歌山で和の仕事人になろう」というプロジェクトを同じような方法でどんどん出していて、希望者に和歌山で恒久的な就職をお世話するシステムを作りました。私は派遣村が話題になった時にマスコミに聞かれて、「県庁前で炊き出しをすればテレビに載せてくれるかもしれませんが、それが行政官の良心でしょうか。困っている人たちを恒久的に救ってあげるために、一番まっとうなことをするのが良心であって、人気取りをするのが良心ではありません」と言いました。結局「和歌山で働きませんか」プロジェクトだけで300人くらいの雇用が産み出されました。まだ継続していますから、皆さんご興味があれば県庁のホームページを探していただければと思います。十分雇ったという企業は抜けていきますので、まだ雇いたいと思っている企業だけが残っています。

 それから、後1つだけにします。「ターゲティングインダストリーポリシィー」です。皆さんは「官僚たちの夏」という佐藤浩市さんたちが出演していたドラマをご覧になられたことはあるでしょうか。私も通産官僚をやっていました。その立場から評をすると、城山三郎さんの原作に対して少しせこい解釈をしているなと思いました。城山三郎さんの原作には善も悪もあまりないのです。路線対立で国際派で行くか産業派で行くのかの喧嘩がありました。その物語を英雄物語のようにして、負けた方すなわち産業派の風越伸吾という人をモデルにして書いています。ところがドラマだとまるで出世物語、事務次官に誰がなるかというせこい話になってしまったと思います。とはいえ雰囲気は残っていてなかなかいい話でした。結局、通産省は国際経済で生きていかないと日本の競争力自身が伸ばせない、いくら保護しても国際経済の中で潰されるので、その中で適用する産業政策を見つけようというプロセスに入りました。私が入省したのは1974年ですが、70年代の後半から80年代にかけて、それから2000年代に入るか入らないかまで、基本的な政策は強いところを伸ばす、それは技術であったり感性であったりしますが、強いところを伸ばすというものでした。そのためにレギュレーションをなくしたり、制度を適合的にしたり、それから研究開発のプロジェクトや産業金融などを作ったり、いろいろなことをしながら強いところを伸ばしていく。当然負けるところが出てきますから、それについては保護をしないでポジティブアジャストメントポリシー(PAP・積極的調整政策)をやりながら産業調整をして、労働者が弱い産業から強い産業に移れるようにしていました。これが通産省の基本的な政策でした。風越伸吾さんの「産業を守るんだ」という信念を国際経済派の手法でやった、つまり両方を融合した感じでした。それでやってきたのですが、80年代くらいには日本の産業はとても強くなりました。それで貿易摩擦が起こって、アメリカの中心的な主張は「日本はターゲティングインダストリーポリシィー(特定の産業分野を戦略的に育成する政策)をして、アンフェアトレードプラクティス(不公正貿易取引)であるから、通商法301条などで報復する」ということでした。我々はそれに対していろいろな理論武装しながら交渉して、多少妥協しながら乗り切ってきました。その結果、産業助成をして強いところを伸ばすということを表に出して言えなくなってしまい、産業政策がなよなよしてきたわけです。和歌山では、このターゲティングインダストリーポリシィーを正面から宣言してやってやろうと思っています。和歌山が何をしても立派な京都や立派な東京は何も言いませんし、ましてはアメリカや中国は文句を言わないと予想されますので、お手並み拝見でいいと思います。和歌山に資源がある、和歌山に伸びる芽があるという産業について技術開発を中心にしてプロジェクトを作って、その成果を企業に利用してもらって成長を図る。それによって雇用を確保していこう。強くなる可能性のあるところを伸ばそうと考えています。そういうことをがんばっていきたいのですが、つらいのは和歌山県にはあまりお金がありません。研究開発費もそんなにたくさん出せません。和歌山県もかなり予算的に張り込みましたが、それでも規模にして私のイメージからすると10分の1くらいしか出していません。残りはどうするかというと、国の競争的研究開発助成金というのがいくつかあります。今、事業仕分けでがんがんやられています。NEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)、JST(科学技術振興機構)、文部科学省、経済産業省に、こういう研究開発プロジェクトをやるので手を挙げろと呼びかけると、ローカルな産学官などが手を挙げてきて、なにがしかの助成金を渡すというものが結構あります。それをもらって我々のために役立たせよう。人のふんどしでR&D(研究開発)費用を確保しようと思っていたら、それが目の前から消えていく恐怖心を抱いているわけです。つらい中ですがいろいろなことを考えていきます。

 時間が参りましたので、残りの項目でご興味がありましたら、私のところへ来ていただければご説明します。それから説明したことについて生意気だとかよく分からなかったというのがあれば、これもどんどん聞いていただければと思います。
 最後に、皆さんは何のために勉強しているのかを一言で言えば、真実を見抜く技術を身につけるためだと思います。あるいは真実を追究する技術を身につけるために大学に来ていると思います。何が本当で何が嘘か。人に踊らされるのではなく自分で見抜く。そのためにはたくさんの経験とたくさんの勉強と、それから良い仲間と先生が要ると思います。皆さん、私の同僚知事も含めていろいろな人が教えに来ます。その中で真実は何かを皆さんはじっと見極めたら面白いと思います。
 本日は、ご静聴ありがとうございました。

教授:ありがとうございました。まだ時間も残っていますし、今日いただいたレジュメにも残っている項目もあります。またお話しいただいた内容についてもっと聞いてみたいという点もあるでしょう。質問という形で皆さんから聞いていただきたいと思います。

学生:講演ありがとうございました。日本の戦後政治史を専攻したいと思っていますが、政治史を見ていると政治家の資質というものについて考えさせられることがあります。知事が考える、優れた政治家の資質にはどういうものがあるでしょうか。

知事:優れた政治家というのはよく分かりません。よく分かりませんが、優れた行政について県民の皆さんに申し上げている4つの要素があります。1番目は愛情がなくてはいけない。例えば和歌山県に対する愛情がなくて国政に出るための箔付けのために知事をしようと考えていたら、一番気の毒なのは県民です。ですから県民がすべてという意味での愛情がなくてはいけない。行政をやっているなら自分の行政を最高のものにしようという情熱も愛情だと思います。2番目は持続する意志です。これは塩野七生さんがユリウス・カエサルを評した中で書いている言葉の一つで、気に入って使っています。がんばろうという意志が持続しないといけない。これは愛情や情熱の関数かもしれません。何事もすぐに答えは出ませんし、いろいろな批判も出てきます。ですが右に行ったり左に行ったりせずに持続する意志でずっとがんばるということが、行政あるいは政治には大切だと思います。それから3番目と4番目は洞察力と構想力です。政治家は1番目と2番目、特に1番目があれば十分人気が出ます。しかも人気が出るような顔やバックグラウンドがあればさらに選挙に強いとなります。住民の人が困っている時に「本当にそのとおりだ。私も困っている」と言うだけで終わっても人気は80%くらい出ます。細かいことを言うよりも「本当にかわいそうだ、任せておけ」と言うだけの人の方が人気は出るのですが、本当はそれでは人々は救われません。なぜ困っているかが分かる洞察力が必要ですし、その困っているところをどうやって取り除くかの構想力が要ります。取り除くためにはテクニックがあって、こうするといいかもしれない、あるいは段取りがあって、論理的に言うと法律を変えないといけないので日本全国でやっていくというような構想力がないと、いつまで経っても実行できない。ということで、愛情があり、持続する意志があり、洞察力があり構想力があるということが政治行政に必要なことだと思います。これは選挙で選ばれた政治家だけではなくてすべての行政官庁や団体、特にそのトップに必要なことだと思います。

学生:お話ありがとうございました。始めの情報公開のお話の中で、どんなにいい政策でも批判にさらされなければいつかは腐ってしまうということ、また行政官の良心の中で人気取りではなく恒久的に人を救える行政のシステムを作るべきだとおっしゃいました。恒久的に将来にわたって通用する行政システムを作るために、これから知事がどういう行動を取っていくのかを教えてください。

知事:まず、物事を見ることです。皆さんに真実を見極める力を付けてくださいと言いましたが、それは私のような人間にとっても同じことです。それはどこから出てくるか。本を読むことも大切ですが、私の場合は県民がそこに人間としているわけです。そういう方々が何を思っているか、何を考えているか、何に困っているのか。その人が言わなくても、よく見ていたら分かることもたくさんあります。例えば和歌山県の山間部にある畑は、周囲が網で囲まれています。泥棒する人がたくさんいるのかと思ってしまいますが、違います。人間は悪いことはしません。イノシシやシカなどが来て農産物を荒らすので、人間は金網の中に隠れて住んでいるわけです。そういうことは田舎の方を車で回ったり、山歩きをすると分かります。そうやって見ることから始めて、その次は考えます。先ほどの洞察力と構想力ですが、これをどうすればいいのか。一生懸命考えないといけません。考えた末に「千万人行かずとも我行かん」と言って一生懸命実行しないといけません。そういうことを地道にやっていくしかないのではと思います。毎日森羅万象、山のように入ってきます。入ってきたものに自分の責任で考えて優先順位を付けながら、県庁の職員と議論をして実行していくのが日々の姿です。

学生:本日はありがとうございました。講演の中で正義という言葉を強調されておられましたが、公共調達について、制度改革で落札率が上がっているということでした。正義という面では必要なことかもしれませんが、落札率が上がってしまえばそれだけ財政が厳しくなると思うのですが、その点については住民とどのようにコンセンサスを得たのでしょうか。

知事:説明しませんでしたが、正義というのは何も事業者の利益を守ることが正義ではありません。バランスの取れた制度を作るのが正義です。事業者の方からするとより甘い、たくさんお金が来る制度にしてと言うわけです。それは論理的である限りにおいて認めていいわけですが、その論理をきちんと議論するのが大事です。その時に常に頭に置かないといけないのが、いま言われたような非事業者の県民の利益です。非事業者の県民の利益だけを考えて事業者をいじめてもいいというのは間違いです。世の中のある時期はそちらに傾きすぎていたので、傾きすぎると非論理的で正義に反すると言っていたのですが、一方で甘くするとそれも正義に反します。したがって基準を決めています。絶対に言うことを聞かないことがあります。1番目は県民全体を敵に回す制度改正はしない。2番目、論理的でない制度改正はしない。3番目、仲間内の喧嘩の一方に荷担するような制度改正はしない。1番目の話をすると、単価を上げてくれ、あるいは最低制限価格をうんと上げてくれとよく言われます。なぜなら事業者も苦しいからです。ですが単価を上げると非事業者の県民の共通の利益を侵すことになります。県にとってはたくさんの工事を安く効率的にやっていく方がいいのですから。不正義にならない限りにおいてたくさんやった方がいいわけです。単価を政策的にむやみに上げるということはしません。単価についての基本的な情報は我々にはありません。単価は平均単価ですから母数が少ないと平均は出せません。そこで国土交通省の単価を、短いターム(期間)でチェックしながら採用しています。それから、県民の皆さんに説明できるような制度改正はしますが、事業者を大事するだけなら他の人は怒るでしょう。大事にしてくれと言うだけではだめですといつも言っています。それから最後の点は、A社に有利になっても同じくらい大事なB社の損になることをしてもあまり意味はありません。A社もB社も同じくらいの線で競争できるようにした方がいいわけです。ただ、非和歌山県業者に対して優遇をするいわれはありません。私は今、和歌山県の知事であって国家の役人ではありません。ですから県内企業が落札する率は飛躍的に高まりました。先ほどは言いませんでしたが、以前は非和歌山県業者を和歌山県はとても大事にしていたのです。そこで談合が発生していたのですが、和歌山県優先の原則を確立したので、県内業者の率は95%くらいになりました。もちろんできない工事は県外業者にやってもらいます。それは県民に対する説明がつくと思うのでやっています。そうやっていつも両方のことを考えながらやっています。

学生:本日はありがとうございました。情報公開の説明で、情報公開屋に対して批判的に、そのように言ってくる1人に大きなコストを払って対応するのはどうなのかというお話がありました。しつこく情報公開を求めてくる人と、きちんと本当に疑問を持って公開請求する人の境はどう考えているでしょうか。

知事:私はうるさく言ってくる人を情報公開屋と言ったわけではありません。情報公開を売り物にして業としている人を情報公開屋と言っただけで、先ほど言いましたコストの問題で言うと、質問で言われた前者と後者は私にとって差はありません。情報公開を求める人は全部受け入れたらいいのです。情報公開を業としている人でも、あまりしないけれどやってみようと思って請求する人も同じように扱えばいいのです。同じ条件で生の資料をどんどん提供すればいい。私たちはどちらに対しても、あなたが分かるように情報を加工して提供する義務はありませんと言っているわけです。生の資料をそのまま渡せばいい。ただそのコピー代はいただきますということです。特定の人に媚びるのはいかがなものか。政治の世界はお化粧ではなくて本質が一番大事ではないかと思います。

教授:それでは、ほかにも大勢手を挙げておられていましたが時間が参りましたので、ここで質問を終わります。仁坂知事、どうもありがとうございました。

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