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寄稿・提言・訓辞・挨拶集

新聞・雑誌等への投稿や、各種行事での講演・挨拶、政府への政策提言等を通じて、知事の考え方や政策を紹介します。

日本・スペイン会議講演

平成20年10月3日 サンティアゴ・デ・コンポステーラ/スペイン

 アントニオ・ガリーゲス、中山太郎両座長、アンヘル・ロサーダ外務省外交長官、フーリオ・セサル・フェルナンデス ガリシア州国際長官、そして、スペイン側、及び、日本から参加の皆様、ladies, and gentlemen,本シンポジウムにおいて私に講演の機会を与えていただいたことに、感謝の意を表します。ありがとうございます。

 西と東の古い文化と強い経済力を持つ両国の要人がこうして集い、両国にとって共通に重要な問題を語り合うこのシンポジウムはすばらしいものであると思います。
 そしてこのシンポジウムの開催地が、このサンティアゴ・デ・コンポステーラというキリスト教世界での巡礼の最高の聖地であるということに感動を覚えます。

 和歌山県にある熊野古道とサンティアゴ巡礼道は、世界で2つしかない道の世界遺産です。10年前、ガリシア州と和歌山県は、熊野古道とサンティアゴ巡礼道を姉妹道とする取り決めを結び、その後ずっと様々な協力をしてきました。そして、その姉妹道の協力が10年を迎える今年、10周年を記念して新しい共同プロモーションを行おうと決めたのです。

 両者は、熊野古道とサンティアゴ巡礼道の意義を日欧両国のもっと多くの人々に分かってもらおうというプロモーション活動を、和歌山県、パリ、サンティアゴ・デ・コンポステーラ、そして東京で行おうとしています。ちょうどこの会場の近くのサンティアゴ・デ・コンポステーラ大学附属教会ギャラリーにおいて「祈りの道 サンティアゴ巡礼の道と熊野古道」写真展が開かれています。皆さん、そちらも是非ご覧になってください。

 サンティアゴ巡礼道と熊野古道は、多くの点で共通点があります。その最大のものは、苦労して目的地のサンティアゴ・デ・コンポステーラや熊野の三ヶ所の神社に参詣することで、魂の救済が得られるということです。

 ずっと昔から、人類はつらい生活に立ち向かって懸命に生きてきました。文明が進んだ現在においても、人間は大きなストレスと戦いながら生きています。その時巡礼に出て、苦労しながら歩き、目的地にたどり着くことで、サンティアゴ・デ・コンポステーラの場合、キリストの神の祝福を受け、日本の場合は熊野の神々の祝福を受けることによって魂の救済を図ってきました。

 日本の場合、10世紀頃から日本の最高権力者であり権威者であった上皇(前天皇)をはじめとする多くの貴族の人々はもちろん、非常に数多い庶民に至るまでの人々がかわるがわる熊野を目指して熊野古道を歩きました。その途中で事故や病気で亡くなった人も数多くいましたが、熊野の人々は、これら巡礼者を助け、彼らの世話をずっとし続けました。多くの悲しくも心温まる話が語り伝えられています。そして、途中で倒れた人も無事巡礼から帰還した人も、彼らの魂は救われたと思います。

 熊野の神々は誰にでも寛容な優しい神々です。熊野への参詣は、次の4つの言葉で語られます。
 「老若男女を問わず、貴卑を問わず、浄不浄を問わず、そして信不信を問わず」
 第1の「老若男女を問わず」は、現在では皆当然と思うでしょう。しかし、キリスト教においても、日本のいくつかの仏教の学派でも、例えば女性の立場が初めから男性と同じであったとは言えないということは事実でしょう。それは、ごく最近のことです。

 第2の「貴卑を問わず」もそうでしょう。しかし、熊野の信仰と参詣はすべての人に開かれていました。

 第3の「浄不浄を問わず」については、最も深い慈悲の心が感じられます。多くの、当時では昔不治の病だと宣告された病人が熊野を目指しました。また、例えば目の不自由な人が他人に手を引かれながら、足の不自由な人が今で言う車イスを人に押してもらいながら、1000年も前からずっと熊野古道を歩き続けました。心の汚れた人々と、人々に差別されてきた人々も、熊野を目指し、救いを求めました。イエスキリストがハンセン病者を治したように、また、マグダラのマリアに祝福を与えたように、熊野の神々は、これらすべての不浄とされていた人々にも参詣を許し、また熊野の人々もそれを助けました。

 第4の「信不信を問わず」だけは、私はキリスト教や日本の仏教にもない思想として深い意味をもつ言葉だと思います。熊野の神々を信じない人々に対しても熊野の神々は魂の救済とよみがえり(revival)を与えるというのです。熊野三山の現在の最高責任者の一人が、私に言いました。「誰でも熊野に来てくださって、どんな形でも救ってください、と心の中で言えばいいのです。神道の作法など守らなくてもいいのです。キリスト教徒は十字を切って自分の神に救いをお願いすればよいのです。それが熊野というところです。」

 この地球には争いがあります。宗教の争いも多くあります。しかし、熊野の神々は、どんな宗教を持つ人でも受け入れるという絶対的な寛容性があります。世界の平和、魂の救済が本当に必要とされるこの現在、熊野古道の持つ意味がもっと多くの地球市民に分かっていただければと思います。

 そのためには、是非和歌山へ来てください。1000年の昔と違い、今や交通手段は格段に進歩しています。日本の関西の玄関口、関西国際空港から車や列車でわずか2~3時間で熊野古道の玄関口に着きます。時間のない人は、車で熊野古道のポイントだけを味わうこともできます。寛容な熊野の神々は、それでもお許しくださるでしょう。そして昔も今も親切で善良な熊野の地元民は、観光客に親切です。そして太平洋でとれた海の幸、紀伊山地の山で採れた珍味、おいしい地元の酒や梅酒、こんこんと湧き出る温泉が旅の疲れを癒してくれるでしょう。緑したたる森の中の道と、透明な川、明るい海も、魅力です。

 こんなすばらしい熊野古道が、ヨーロッパ人に知られ、世界遺産に登録されたのも、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼道というお姉さんがいたからです。私は、今和歌山県の知事としてこの聖地、サンティアゴ・デ・コンポステーラに立って、皆さんに熊野古道の魅力を語っています。しかし、知事という激職をいつか離れた時、もう一度人生のよみがえり(refreshment)を求めて、サンティアゴ巡礼道を歩いてみたいと思います。

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