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寄稿・提言・訓辞・挨拶集

新聞・雑誌等への投稿や、各種行事での講演・挨拶、政府への政策提言等を通じて、知事の考え方や政策を紹介します。

知事リレー講義

平成20年7月10日 立命館大学/京都府

 みなさん、こんにちは。ご紹介にあずかりました、和歌山県知事の仁坂吉伸です。
 10分ほど前にこの教室に入ってきましたら、学生さんの数が30人くらいしかいなくて、とうとう立命館大学にも見放されたかなと思ったんですが、今、先生にご紹介いただいて立ち上がってみると、目の前にたくさんの学生さんがいらっしゃる。まだ見放されてないなと思いましたので、がんばって話をしたいと思います。
 今日は、レジュメを作ってきました。最近知事として何をして、何を考えているかをまとめました。最初に目次があります。私の目標は「和歌山を元気にすること」です。そのための3つの項目があります。選挙のスローガンにもしたのですが、それを再編成しました。
 1つ目は、和歌山県の経済的な復興を果たす。2つ目に、前知事のスキャンダルがあったので、汚名を返上して清潔な行政を行う。3つ目に、安心安全をきっちりかなえて、安心できる県政をやりながら、人を育てていく。若い人が育って、和歌山出身の人はいいな、と思ってもらえるようにする。
 そのために各論的にいろいろな政策を行いますが、そのほかに長期総合計画を新しく作りましたので簡単に触れています。それから、行財政改革を行わないといけません。私が来た時に和歌山県の財政はあと2年半でパンクという状態でした。これを持続可能な県政にしなくてはいけませんでした。ここまでがサブスタンス(実体)、行政の中身編となります。
 そのあとに「そのために県知事としての責任を果たす」とあります。知事としてどんな心構えを持たなければならないか、世の中の動きをどう思っているかをまとめています。
 レジュメの内容は小目次と資料です。小目次には、みなさんの興味を引くために、あえて奇抜な表現を使いました。この内容を全部やると1時間半ではとても足りません。和歌山県は、こういうことをしていると知ってもらいたくて全部作りました。先ほど私が「どこを話しましょうか」と学生さんに聞くと、知事としての心構え、その次に清潔な行政について話して欲しい、また、財政について聞きたいという意見がありました。本当は多数決にしたいですが、時間がないのでその順番で話をすることにします。

 では、「県知事としての責任を果たすとは」です。レジュメの22ページを開けてください。まず「中国での驚き 評論家の目と行政官の目」についてお話しします。
 私は、経済産業省で通商政策局審議官をしていました。通商政策局のナンバー2になりますが、そのときの担当はアメリカ、中国、韓国、そして局の内部管理でした。中国も担当なのでいろいろ勉強しましたが、そのときに24ページにあるような資料がたくさん出てきたのです。
 これは、中国の国務院発展研究センターが分析した、中国がWTOに加盟するとどうなるかを示した資料です。この資料を見て、みなさんどう思われますか。小麦生産で540万人、綿花生産で498万人というものすごい就業人口が失われることになります。そのほか増えるところや減るところがあり、WTOに加盟すると全体としてこうなる、という資料です。これがもし日本で公表されたらどうなるでしょうか。たぶん新聞やテレビでは大騒ぎになると思います。しかし、それにもかかわらず中国は急いでWTOに加盟しました。いつまでも小麦や綿花に頼らず、WTOに加盟することで国際競争力をつけて経済発展を進めるという強力な国家意志を、中国のリーダーが示したからです。
 それにしても、政府の研究センターがこんな数字が載った資料を出していいのかと思いました。そして資料を出している研究員と話をすると、この数字を認めたうえで政府の政策を是認し、「WTOに加盟すべきだ、マイナスはこうやってカバーする」と堂々と語るのです。これが私が中国で感じた驚きです。
 あるとき、中国のもうひとつの研究機関である社会科学院の幹部と話をしました。そこで聞いたのが大変驚くべき話で、当時首相だった朱鎔基は、WTOの加盟について、どういう戦略で臨むべきかを提示せよと3つの機関に原案を作らせたのです。対外貿易経済合作部という、日本では経済産業省にあたる機関にもそれを求めるのですが、同時に国務院発展研究センターにも、社会科学院にも求めます。求められた方はどうするかというと、WTO加盟による経済的なメリットは当然示すのですが、それだけではなくてデメリットも示すのです。「小麦や綿花などの弱い産業では、500万人の労働者が失業します」と。でも「その失業者はこうやってカバーできます」と、いいことも悪いことも全部あわせて朱鎔基に提出する。ほかの機関も同じように提出するので、朱鎔基はそれを全部見て、一番良さそうな提案か、あるいはそれぞれの提案の良いところを採用して、それを政策として実施するということでした。これは私にとって驚くべき話でした。
 アメリカでは、政策の代替的な手段は、ポリティカルアポインティ(政治任用制)によって変わっていきます。もし今度、民主党が政権をとれば、民主党系のシンクタンクや金融機関にいる人が政権に入り、共和党系の人にかわって政策を実行する。それによって政策の代替性があるのです。
 ところが日本はどうか。日本は今、官僚の悪口が言われ、人気がない。ところが官僚以外に官僚と同じ仕事をしている人は、1人もいません。中国での驚きは、日本はそういう国なのだと思い知らされる事件になったのです。
 評論家や学者と呼ばれる人はたくさんいます。しかし、学者がデメリットも含めて政策の提案を行い、しかもそれが政府の政策として採用されることが日本の行政や政治であるかというと、私はないと思います。したがって、叩かれながらも官僚が起承転結のある政策パッケージを用意して、それを政治家が選択するしか日本には手段がない。これは良くないことだと私は思っています。
 大学の研究機関など在野の人が、もっと起承転結のある政策を提言すべきと思いますが、なかなか難しい。評論文などで「こうしたらいい」とは言うわけですが、それには2つの問題があって、1つは実現可能かどうか、実行した時のコストまで考えていないのでは、というものがけっこうあります。2つ目は、政策にはかならず副作用が伴います。政策が功を奏したとしても、かならず悪影響も出るので、それをカバーしながら、全体として政策をどう組み上げるかまで分析して、提示できる人がいるかというと、見たことがない。今まで役人がそれを組み上げて提示してきました。ところが、みんなから叩かれるものだから、どうも彼らもやる気をなくしている。和歌山県もそうなっては困ります。私は選挙で選ばれた知事として、最終的な決定権と責任を持っていますが、すべてのことを知っているわけではありません。いいところも悪いところも出して、「どうしましょう」と言ってくれる職員が必要です。黙って命令を聞いているだけではなくて、「行政官の目」を持った県庁職員が和歌山県にいれば、ものすごく良い行政ができると思っています。
 行政に責任のある人が、ある問題について「みんなで議論しましょう」だけで終われば、その人は行政の長には向いていません。私たちは行政官ですから、和歌山県でこういう問題があって、それをこう解決したい、こういう効果があって、同時に弊害もあるけれども、こうしてカバーするから、みなさんついてきてください、そう言って政策パッケージを堂々と公表することが、私たちのすべきことだと考えています。

 次に「時流に棹さすこと」です。これは、大変面白い事件がありました。25ページを開けてください。2週間ほど前に、朝日放送「ムーブ」という番組に、近畿各府県の知事が勢揃いして出演しましたが、その時にこのフリップが待ち受けていたのです。
 少し前に、ある新聞社から地方分権改革推進委員会の第一次勧告の評価についてアンケートを求められました。県庁職員の原案は「おおむね評価する」だったのですが、私は「あまり評価しない」だなと思い、嘘をつくのはいやなので、そのとおり回答しました。すると次の日の新聞に「評価をしない」と回答したのは、47都道府県中、和歌山県知事だけで、和歌山県知事以外はみんな評価と載ってしまいました。私の前職は、日本貿易会の専務理事です。日本貿易会とは総合商社の業界団体です。大手商社の社長が会長や副会長に就任し、その次に専務理事がいて事務局があるという組織ですが、その大手商社の会長のお1人は丹羽さん(地方分権改革推進委員長)でしたから、もともと親しいわけです。丹羽さんに悪いなあと思ったんですが、本当にそう思ったから書きました。
 本当はアンケートにどう書いたかというと、「第一次勧告は、地方分権の観点からは物足りない。物足りないのであまり評価しない」と書きました。なぜ物足りないかというと、「地方のものは地方に」という思想はいいとして、権限をもっとください、としか言わない。もっとこの国の形を規定するものを決めて欲しいのです。国はこういうことをすべきだ、だけどそれ以外はやる必要はないから、残りは全部地方へ移す。やるべきことはこれだけで、それがこの国の形を規定するのだ。そういう議論をすることが、地方分権改革推進委員会の本当の役割ではないのですか、と書きました。
 でも、そこが消えて「仁坂さんは地方分権に反対みたいだ」となったようでした。「ムーブ」に出演する残りの知事は地方分権に賛成だから、テレビで仁坂さんと残り6人で議論をさせれば面白いと、朝日放送は考えたらしい。出演するとこのフリップが出てきて、「仁坂さん、何か言ってください」と言われたので、「いや、もっと進めるべきなんです」と話したらびっくりされました。「それは面白くないなあ」という声が出演者からも小さな声でありました。
 つまり、ステレオタイプ的な考えに乗らないと、つまはじきにされるのが世の中だとよく分かりました。ムードに乗ることは簡単です。しかし全員がムードに乗っていたらリーダーは必要ないと思いませんか。だから、自分が正しいと思うことを、堂々と論理的に示すのがリーダーの責務であると思います。朝日放送ではたまたま発言の機会がありましたが、そうでなければ「あいつは地方分権に反対だ、出身が中央官庁だからな」と言われたかもしれません。
 人の生き方として2つの道があります。1つは時流に乗ればいいと考える人。これはたくさんいます。大事なことを主張したい時に、ムードが悪くなるから主張しない方がいいと言う知事もいます。だけど、私は言いたいことは言いたい。誤解する人がいるなら、誤解ですと言い続けます。そうすることでだんだん世の中は良くなるのではないかと思います。
 それから、地方分権について考えると、縦割り思考あるいは縦割り行政の弊害が大きいと言われます。たとえば、明治の軍人と昭和の軍人のどこが違うかという議論がありますが、私は縦割り思考になったのが昭和の軍人で、縦割り思考にならなくて総合的なパースペクティブ(将来の見通し)を持てたのが明治の軍人だったと思います。一例をあげますと、日露戦争の時に、伊藤博文は金子堅太郎をアメリカに送っていましたし、帝国陸軍は、明石元二郎をロシアに送っていました。だけど昭和の軍人は訓練には熱心でしたが、鬼畜米英としか言いませんでした。それは負けます。地方分権についても、分権屋さんとか地方自治屋さんだけで議論していると、各論の議論になります。今回、地方分権改革推進委員会の勧告を「あまり評価しない」と言っただけで、「この人は地方分権に熱心ではない」と決めるのは、周りを見る目が欠けてきているのかなと思いますし、それは日本にとってゆゆしき事態だと思っています。

 3番目は「行政は論理だ」です。これの反対の言葉は「行政はかけ声だ」だと思います。知事選挙の時に、私は有名になりました。「えー」とか「あの」とかばかり言っているので「えーあのおじさん」と呼ばれて笑われました。何とか当選させてもらったのですが、応援してくれる方々の話を聞いていると、とても話がうまい。それから言葉の使い方で「命をかけて」とか「骨をうずめて」という言葉が出てきました。これも大事だと思いますし、私も心中ではそういう気持ちはあります。しかし、行政で成功するためには、絶対に論理だと思います。「ああすればこうなる」というのは明らかなのですから、論理的でないものを「命をかけれてやれば何とかなる」とやっても、どうにもならないと思います。
 一例をあげると、中心市街地の問題があります。中心市街地が空洞化して元気がなくなっている。私は、その原因の70%くらいは都市計画で説明できると思います。和歌山市を例にあげると、和歌山市の人口は、私が子どもの頃は35万人くらい、今は40万人くらいです。中心市街地はさびれて、みんな街の郊外に行っています。何とかしようと中心市街地にいろいろなイベントを持ってくる。たとえば歩道の色を変えようとか、お祭りをしようとか、市電を走らせれば何とかなるという議論がたくさんあります。しかし本当は簡単なことで、和歌山市の人口はほとんど変わらないのに、人々が住んでいるところだけが外側に広がった。都市計画とは、人が住んでいい地域と人が住んではいけない地域を作って、人が住んでいい地域にはインフラを整備して、それ以外は農地などとして守ろうというものです。運用は、ほとんど市町村に任されていますが、都市計画によって土地の利用を制限しようとすると人気がなくなるわけです。何とか開発をさせて欲しいという声は、たくさんあります。それに乗って、行政をしようとすると、外側に街が広がる。街の中よりも郊外の方が土地も安いし、一団の土地が買える。家が密集しているところより、田んぼを一枚買う方が大きな建物が建てやすい。ですから和歌山市周辺に高層マンションがどんどん建ち、もともと田んぼだったところが市街化地域になっていった。すると郊外の方が便利なので、どんどん人が出て行く。ですから行政が本当に中心市街地の崩壊を止めようと思うのなら、都市計画を厳しくするしかありません。たとえばヨーロッパの都市では、街の中と街の外がものすごく隔絶されています。街の外へ行くと何もありません。何もないと人々は街に集中します。これは大きな私権の制限ですが、それをすると街が生き返ります。しかし、私権の制限をした方がいいのか悪いのか、これは民主的に決めるべきことだと思います。さらに言うと、もうすでに広げてしまった都市計画で、すでに郊外に住んでいる人はどうするのか。その人たちの幸せを「おまえは間違っていた」と言えるのか、という議論もあります。ひとつだけ言えるのは、街を広げたら、中心は空洞化します。それがいいのか悪いのかというのは、都市計画を決定する時に論理的に考えないといけません。すべての情報を提供し、住民と議論して決定する行政を、本当はすべきだと思います。
 それから、「行政は論理である」のもう1つの意味は、すでにある法律の条文が、金科玉条のように正しいわけではないということです。法律は何でできているかということまで、論理で考えないといけない。法律や条例はたくさんありますが、それが作られた理由もまた論理でできている。その論理を突き詰めると、身の安全を守るとか、 社会正義を貫くとか、みなさんの心ひとつひとつにかなっているか、というものが出てきます。さっき話したように私権を制限しようとしたら、制限された方には不都合が出るから、かならず副作用が出る。総合的にどう考えるかは論理の問題になります。
 私はかつて、コムスン問題で一度だけ有名になりました。介護事業をしていたコムスンが他県で法律違反をした。今の法律では、他県で法律違反をすると、厚生労働省から通知がきて、すべての県で介護事業ができなくなるという制度になっています。その次の日に記者会見があったので、質問された場合に備えて職員が説明に来てくれました。問題が起こっているが、昨晩状況が変わったということでした。コムスンは、グッドウィルグループの子会社ですが、介護事業をグッドウィルの別の子会社に営業譲渡することになった。会社の名前が変わると手出しができないと説明を受けました。「それは脱法行為ではないのか、厚生労働省は何と言っている?」と聞くと「手出しができなくなった、と言っています」ということでしたので、私は、「そんな役人の言うことなんか聞くな」と怒りました。何が大事かといえば、悪いことをすれば罰せられるのが秩序であって、その秩序をすり抜けて、サブスタンス(実体)を変えないで形式だけで逃げようとするのは脱法行為です。脱法行為は叩き潰さないと、社会正義は守れません。次の日、記者会見で質問してくれたので、同じことを言いました。和歌山県ではそういうことは絶対に許さない。名前を変えただけで申請してきても認めないと話したわけです。
 行政は論理であるとしても、論理のもとになる規範が、私たちが理解できる規範でないといけません。法律にこう書いてあるというのは、論理の端っこにすぎなくて、端っこだけで勝負するとみんなが不幸になります。どうやって社会正義を守るかを考えて論理立てをして、今の行動原理は何かを考えないといけないと思います。

 4番目は「職業人としての義務」です。私は県知事ですので100万県民の幸せを考える義務があります。もちろん国政とかにも興味はあります。しかし、和歌山県民のために一生懸命つくすのが、私の職業倫理です。全国レベルで自分の評価を上げるとか、有名になるとか、国の政策を左右するとか、そういうことをねらって時間を割くのは、職業倫理上いいことではないと思います。
 私は知事選に出馬する時に、新聞記者から「あなたは改革派の知事か」と聞かれたので「何の興味もない」と答えました。何の興味もないとは、必要なところは改革するし、必要のないところは旧習を踏襲すればいいと思っているので、どうレッテルを貼るかは他人が決めることで、自分は全く興味がないということです。そのあと選挙運動で各地を回った時に「改革をやめるのか」と言われて苦労しました。しかし、自分の美意識で考えると、改革派知事と呼ばれるために一生懸命になるのは、県民のための仕事をしているとは思えないので、今でも「興味がない」と思っています。

 次は「県庁のエートス(慣習)」です。ここには「任務と権限」と書いています。県庁に来て思ったことは、県庁の仕事は、権限を中心にしてできているなということでした。県庁の職員は、みんな一生懸命がんばっています。しかし「あなたは何の仕事をしているのか」と聞かれた時に「自分はこういう仕事だ」という仕事の持ち方が、権限ないしは所掌でできていると思いました。
 たとえば福祉の仕事の中には、国が決めるところ、県が決めるところ、市町村が決めるところがあります。困っている県民の方が相談に来られた時、県庁の仕事で自分の権限で決められることなら一生懸命聞きますが、そうでないと「私の仕事ではない」と話を聞かなくなります。果たしてそれで、県庁の職員としていい仕事をしていると言えるのか。仕事は所掌や権限で考えるのではなく、任務で考えないといけません。任務で考えると、困っている方の話を聞いて、それが県庁の仕事でなくても、市役所でここを訪れて、こう手続きすればいいと教えてあげれば、その人は幸福になる。国の仕事だった場合「基準がこうなっているから」で終わるのではなく、基準が正しいのかどうかを考えて、悪法も法だからすぐに変えることはできないけれど「悪法だから直せ」と国に言うのも私たちの任務ではないかと思います。
 そこで「自分の仕事ではない」と言わせない仕掛けを考えました。事務分掌規程というものがあります。たとえば障害福祉課では、これまでは、障害福祉課の持っている権限を書き連ねて、自分の仕事はこれだけと書いていました。これを止めて、障害者の福祉を増進させることに関してありとあらゆることをやりなさい、と任務で書いてしまった。その下に権限を書いて、最後に任務達成のために必要なことを全部すると書いた。すると、県庁の職員はまじめだから、自分の仕事はこうだと思っていた「こう」が変わってしまうわけですから、これから少しずつ意識も変わるかなと思います。私自身も「逃げてはいかん、交通整理くらいしなさい」と言っているので、何年かすれば任務で行動できる職員が県庁で増えてくるのかなと思っています。そうすると、縦割り行政の弊害も少しは解消すると考えています。
 今、和歌山県では企業パートナー制度を始めています。商工行政における企業とのつきあいについて、今までは政策金融や産業技術支援の予算を確保して、申し込みを待っていたわけです。これからは、業界担当や企業担当を決めて、何が問題になっているかを拾ってくる、雑談でもいいから話をしに行く、そういう制度にしました。ビジネス自体の話は受けられませんが、ビジネス以外の周辺の話は、行政が関わっていい話です。どういう関わりをするか、はその時に決める。企業の声が反映されて、県庁は企業を守ってくれる、少なくとも話を聞いてくれる。そういう企業風土ができたら、和歌山県は、もはや最下位には終わらない、これからはトップを走るというようになると思いますが、まだまだがんばる必要があります。

 その次は「友を討ち死にさせない」。私にとって、友とは部下であり、県民です。部下がひどい目にあっている。そのとき知事が「私は知らない」と言うと部下はかわいそうです。部下が戦っているのに上司が涼しい顔をしていてはいけません。組織がやったこと、前任者がやったこと、あるいはずっと昔にやったことでも、県がそれに関わっていたなら、私は頭を下げて始末をつけないといけません。始末のつけ方については「部下をかばっている」とか言われますが、組織の長として、組織がやったことは全部かぶらないといけないと思っています。
 5月の中旬に季節はずれの大雨が降りました。私も雨の音で叩き起こされるほどのものすごい雨でした。大雨の降った紀北地方には、ため池がたくさんあるのですが、ため池はどれも古くて、地震や大雨で決壊する危険性があります。これを解決するために補強工事を進めていて、岩出市でその補強工事をしていたのです。ため池を空にして、利水のための排水溝を近代的なものに交換するために、V字型に切り下げていました。その工事途中に季節はずれの大雨が降ったので、切り下げていたところから水があふれてしまった。これは、善意でやったとはいえ県庁の行為によって起こったことです。これは県として責任をとらないといけないと思っていました。
 ところが現地では、被害にあわれた方々の不満が高まっているらしい。「弁償しろ」と言われても、手続きをとる必要がありますから、県庁職員はすぐにお金を払えません。そうすると、被害にあわれた方々は先行きが分からないので不満を募らせるのです。これは放っておくと良くないと思って、現地に飛んでいきました。被害にあわれた方々が十数人いらっしゃいましたが、そこに入っていって、状況を聞いたうえで、「県の工事によって起こった被害については県庁が現状回復します」と答えました。「現状回復する県のお金は、知事のものではなくて、100万人の県民が負担するお金ですが、県庁の行為によって起きたことを謝罪して説明すれば、お金を出すことに県民も納得してくれるでしょう。反対されても私が責任を持ってやります」と言いました。「ただし、みなさんの不満は分かりますが、現場の担当課長は夜を徹して走り回って、被害を防ごうと必死になってがんばっていた。そして、たくさんあるため池の中で、最初にここを工事していて、この時期にこんな大雨が降るのは計算外だった、そんなことが重なって起こったので、少なくともここにいる現場の人を悪し様に言うのはやめてください」、こう話して帰りました。
 これには後日談があって、やっぱり県庁の人はこういうやり方に慣れていなくて、知事があのとき決断したのに、状況をきちんと説明する紙を持ってきて「これでいいでしょうか」と聞くものですから、それから一週間くらいコミュニケーションがうまくとれませんでした。「あのとき決めたじゃないか、さっさと実行してくれ」と言って、それで今ではほとんど解決したと聞いてきます。

 それから「東京との間合い」です。これは地方公共団体が霞ヶ関の中央省庁とどうつきあうかという話です。先ほどのコムスン問題の時に、厚生労働省はどう発言しているかという話がありました。あのとき厚生労働省は、省内で議論をして、上まで話をきちんと通してから発言をしたのではなくて、現場の人が、法律の抜け穴を突かれたので、もしかすると訴訟に負けるかもしれないと考えて、「手出しができなくなりました」と発言したわけです。私は直ちにそれはおかしいと言った。なぜおかしいと言えたかというと、私自身が中央省庁出身で、こういう脱法行為を許すとどうなるかについて、予測できたからだと思います。あの時はたまたま自分の経験がいい方に出たと思います。脱法行為と戦ったことのない人とか、あるいは法律はとても堅いものと思って、その基礎になる正義とか条理をあまり意識しないで発想している人だと、脱法行為に負けていたかもしれません。私が発言したことがテレビで大きく取り上げられて、世の中が変わってくれました。その日の夜には、厚生労働省の担当局長が出てきて「あれは認めない」と話していましたが、別に私の発言がなくても、法律の解釈をして、ゆっくり議論すると当然そうなる話です。もし裁判になって、仮に負けたとしても、負けてもいいと思って正義を貫く迫力がないと、秩序は守られません。
 そこで言いたいのは、中央省庁も含めてみんな論理で動いているということです。先ほど「行政は論理だ」と話しましたが、中央省庁は特に理屈で動いています。その理屈が大きいか小さいかの違いはありますが、ともかく理屈で動いている。その理屈に合うようにお勧めすると、私たちの要望も聞いてくれやすい。たとえばコムスン問題で、「もう手出しができない」ということで進むとどうなりますか。厚生労働省はたくさんの法律や規制を持っていますが、会社の名前が変わっただけで手出しができないなら、その規制や権限は脱法行為によって骨抜きになります。今、戦わないと厚生労働行政が根幹から無秩序になりませんか、と話すと、課長や局長、あるいは有意の若い官僚は理解してくれます。そういう、霞ヶ関の役人が「そうだ」と言ってくれそうな理屈を見せて交渉しないと、要望に行っただけで終わってしまう。これが現実じゃないかと思います。
 もう1つは顔です。ただ顔で勝負するのは10%くらいの意味しかないと思います。私は中央省庁出身ですから、各省にお友達がたくさんいます。別に仲良しではありません。けんか相手であったり、単なる知り合いであったり、中には本当の親友もいます。ちょうど同じ年頃に次官や局長がいるので便利なのですが、だからといって中央省庁出身の人が中央省庁で顔が利くかというとそんなことはない。「あいつの言うことなんて聞く必要ない」と思われている人もたくさんいます。その人が霞ヶ関でどんなことをしたか。けんかをしても立派なけんかをしたと覚えていてくれれば、顔として役に立ちますし、そうでなければマイナスになる。
 それよりも、彼らは論理で生きているのだから、どんな論理なのかをちゃんと知ることです。それを知っているという意味で、私は得をしていると思います。中央官庁出身でなくても、よく議論をしたり、あるいは観察していると、彼らがどんな論理で動いているか分かる。その論理に合う形で要求を持っていって、それが正しければ通る、ということです。
 竹中平蔵という人がいます。彼は私の高校の同級生です。仲はいいのですが、性格ややり方は違います。彼がBS放送に出ているのをたまたま見つけて、とてもいいことを話していたので感心しました。「役人は論破すればいい」と話していたのです。全くそのとおりだと思います。「私が大臣になった時に、役人を徹底的に論破した。論破された役人は100%言うことを聞く」と言って、さらに「役人を論破できない人は、大臣になるな」とまで言っていました。よく「中央省庁の官僚はけしからん」などと言われます。でも役人を論破しないで、外側から悪口ばかり言われると、役人も困るのです。なぜ困るかというと、役人はつべこべ言いますが、そこにも理屈がある。その理屈を論破されないで外側から悪口を言われると、理屈を持ったまま立ち往生してしまう。そうすると抵抗勢力として残るしかない。徹底的に議論して論破すると、言うことを聞きます。
 または、「うるさい、おれは偉いんだ、黙って言うことを聞け」と命令するのも1つの手です。これはリスクがあって、自分が間違っていたらピエロになるばかりか、天下の大悪人になってしまいます。小泉元首相は、たまに「うるさい」とやっていました。総務省の郵政系の人を左遷したりしていました。それは、自分が郵政民営化に政治生命をかけてリスクテイクしているからです。上司である大臣はそれが許されているのですから、それをやるかどうかだと思います。「東京との間合い」は、そんなところです。

 時間がないので急ぎますが、次は「地方分権とは何か」です。これは話すと長くなるのですが、私が本当は何を思っているのかを知りたければ、図書館に行って経済企画庁の「地域経済リポート」1997年版の後半を見ていただくと、たくさん書いています。10年前ですが、三位一体改革のもとの姿、経済分析をしたものがあります。
 地方分権で大事なのは、何を渡すか、何を渡さないかを考えることです。「渡せ渡せ」というのは論理的でない。論理は唯一で、国は、この国の形を規定するものは手放すな、なぜならこの国が分裂するから。私たちは今、「明治維新」をやろうとしているのです。江戸時代から戦国時代に戻そうとしているのではない。「廃藩置県」という小さなことをしているのではありません。「明治維新」そのものをやっているのです。経団連が道州制の問題で「廃藩置県」ならぬ「廃県置州」と言っている。これは、経団連のレベルを物語っていると私は思います。「廃県置州」など、どうでもいいのです。県を州にすることを道州制の改革の行動原理にしてはだめです。新しい社会を作ることを考えないといけない。その新しい社会の中心になる国とは何なのかを議論しなきゃいけないと思います。
 内政に関わることは全部地方に任せろと言われていますが、本当にそうだろうかと思います。たとえば義務教育について、財政力の弱い自治体は義務教育を放棄してもいいのか。私はいけないと思います。国は明治時代に識字率を100%にすると決めた。義務教育は絶対に実施すると決めたのなら、国の責任で全部するべきです。
 それから経済規制があります。日本は1億2千万人の消費者を抱えた立派な市場です。かつては無敵でした。日本に匹敵する国はアメリカしかなくて、イギリスやドイツやフランスは、5千万人の市場しかなくて、日本に常に負けていたのです。1億2千万人に勝負できる投資と、5千万人に勝負できる投資では、圧倒的に前者の方が得です。このままではいけないとEUとして統合した。統合の根本は規制の統一です。共通の土俵を作ってEU企業を応援する。すると今、EUは調子がいいのです。アメリカはNAFTA(北米自由貿易協定)を作った。世界は経済統合に向かいつつある中で、道州ごとに、選挙対策で環境規制を強化しますということを許したら、日本は経済規制がバラバラの国になります。そうすると日本は、それぞれ分断された小さな市場があるだけの国になって、日本に研究開発や本社機能を置く企業は逃げてしまうと思います。それでいいのかを考える必要があります。
 先ほど縦割り行政だけでなくて、縦割り思考の弊害があると話をしました。地方分権を語る時、「地方にもっと権限を」という話だけが出てきますが、一方で私がいた国際経済の部門では、統合が大事だと経済連携協定を各国と結んで、日本型の規制で世界をできるだけ囲もうとがんばっている。そういう国際経済の世界からも、地方分権について提起しないといけない。全部を総合的に考えて、日本人がどうしたら幸せになるかを議論するのが地方分権です。縦割り思考の弊害のように、小さな分野だけで議論するのは良くないと思います。
 それから大事なのは責任です。責任はきちんと分担しないと団子になります。国・県・市町村のどこが責任を持つのかを明確にする制度を作る。たとえば補助金が二重にならないように、責任も財源もきちんと分けるのが大切です。そうすると、貧しい自治体はどうするかという問題があります。地方が自己責任でやっていくための補足的な手段が「ナショナルミニマム」だと思います。紀南の山の中に住んでいる人も、京都の街の中に住んでいる人も、福祉や義務教育については、最低限を受けられるようにしないといけません。そういうことができるように財源調整という制度があるのだから、それを捨ててはいけない。
 もう1つの柱は現実性だと思います。私は地方分権改革推進委員会の勧告で、やりすぎだと思うところが1つだけあります。教育委員会の人事権の問題です。市町村立の小中学校の先生は、県教育委員会が一括して採用しています。それを中核市の採用は中核市に委譲せよというのが勧告でした。そうすると和歌山県では何が起こるか。和歌山県教育委員会で採用された先生は、中核市の和歌山市を除いた、郡部や中小都市で一生勤務することになります。和歌山県で教師になりたいと考えている方にその話を伝えると、半分くらいは先生になるのをやめると思ってます。郡部に行ってもらうべき優秀な先生が入らなくなった教育委員会で、どうやって教育の質を高めることができるのか。主義主張だけでなくて現実の問題に目をつぶってはいけないと思います。

 時間がないので9番目「選挙と県民の人気」は飛ばして、10番の「大敵」です。大敵とは何か。4つ申し上げます。1つ目は「小関西」です。大関西ではなく小関西です。2つ目は「人々のあきらめ、しらけ」、そういう気持ち。3つ目は「見返りモデル」、お金や票をあげるからこれをしてということです。4つ目は和歌山の持っている「発信力」です。マスコミは和歌山でいいことをしても、なかなか県外に伝えてくれません。それはマスコミの立場からすれば仕方がないのですが、いいことをしても外には届かない。でも私が逮捕されたりしたら、すぐ届く。そこが和歌山県が克服しなければならないところです。これをクリアしているのが橋下知事と東国原知事です。この2人はいいことをしてもすぐ届くので、本当にうらやましいです。2人は知事としての仕事も一生懸命しています。私も大変評価しています。その評価すべき仕事が外に届くのは、府民・県民にとって幸せなことです。

 以上で説明を終わりますが、話が長くなったのでお約束した「汚名返上と清潔な行政」と「新しい行財政改革」はできませんでした。ご質問を受ける時間となりましたので、いったん終わります。

司会者:仁坂知事ありがとうございました。途中で「行政は論理だ」という話しがありましたが、実例をまじえながら論理的にお話をいたただけたのではないかと思います。質問を受けようと思いますが、誰かいませんか。

 質問もないようですので、残されたところについて補足があればお願いいたします。

 それでは、簡単に残ったところについてお話しします。まずは「清潔な行政」について、11ページをご覧ください。公共調達制度について、和歌山県はようやく完成に近づきつつあります。公共調達を分類すると、前知事が捕まった「建設工事」、設計や測量などの「建設工事に係る委託業務」、「物品の調達」、電気工事などの「役務の提供」の4つです。役務の提供は種類が多くて難しいので時間がかかりましたが、0円から全部一般競争入札にして、指名競争入札をやめました。指名競争入札は比較的談合がやりやすいので、やめると談合がしにくくなります。ところが指名競争入札は、紳士は参加してよろしいという制度です。紳士でないとは、たとえば暴力団が関係する会社があるかもしれません。ですから和歌山県は、0円から一般競争入札を行うにあたって、最初に入学試験として参加資格の審査を行います。そのあとは客観的な条件をつけることはありますが、いきなり隣の人は入札できるけどあなたはだめです、となることはありません。
 ポイントは3つあります。効率性の向上ということで指名競争入札をやめましたが、後は品質の確保をする。それから県内企業の育成もする必要もある。そういうことをよく考えた制度を作ったつもりです。全面的に指名競争入札をなくしたのは、和歌山県以外にはないと思います。
 それから「県庁の規律」です。まず倫理規則を作りました。私も守っています。このことで職員に話しているのは、倫理規則を守っている限りは積極的に県民とつきあおう、不必要に恐れるのはやめようということです。それから監察査察監制度を作りました。監察査察監の前職は副検事です。検察を内部化しています。外部通報窓口は、人を陥れるためにも使えますので、私は嫌いです。通報が真実であるかどうかもきっちりと調べないといけません。
 「見返りモデルとひたむきモデル」というのは、汚職などでサブスタンス(実体)が変わるような世界ではなく、一生懸命するしかないとみんなが思うようにするということです。
 次は「全員野球」と書きましたが、知事は王様になりがちです。最終の責任をとるのも王様ですが、くだらないことでコストをかけてしまうのも王様です。そうならないように工夫をして王様から逃げるようにする。みんなが主役でないとだめだと思います。

 これで講義は終わりたいと思います。ありがとうございました。

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