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寄稿・提言・訓辞・挨拶集

新聞・雑誌等への投稿や、各種行事での講演・挨拶、政府への政策提言等を通じて、知事の考え方や政策を紹介します。

和歌山県中学校長会研究協議会知事講話

平成20年5月2日 ガーデンホテルハナヨ/田辺市

 本日は、坂本文教委員長、それから大沢県議会議員、それから田辺市長、それから各教育長の方々、それからなによりも校長先生方が前にいらっしゃる。こういうところでしゃべるのは、そもそも具合悪いという感じがいたします。それと申しますのも、子どもの頃の記憶が強烈であります。子どもの頃のことを考えますと、校長先生と言いますと雲の上の人、それでその校長先生方がこれだけたくさん前にいらっしゃるとですね、ちょっと生意気にも抱負なんて語って良いのかななんて感じがいたしますが、一応お願いを申し上げたいと思いましてしゃべらせていただきます。
 和歌山県は、昨年度いっぱいかけまして結構いろんな制度を作ってまいりました。その大きいものとして、県民生活全体に関係するものが二つあります。
 一つが長期総合計画であります。それでもう一つが昨年から始めた新政策のプロジェクト。これは予算など全部まとめてこうなりました。長期総合計画につきましてはほぼ10年ぶりぐらいに和歌山県でこれを改定する。楽しい長期総合計画をつくって、今年度を初年度としてあと10年間ぐらいをどうやって和歌山県で生きていこうかということを決めようということでございます。その長期総合計画をもとにして、毎年毎年ブレイクダウン(分解)して県庁の政策を総合的に評価し、それから新しいものはないかとか考えて、それで最終的に予算へつなげていく。それで、いずれも、だいたい立て方、こういう構造はまあ当然なんですけど、長期総合計画には六つの柱があります。その六つの柱のうちの最初に出てくる柱が未来を拓くひたむきな人間力を育む和歌山。これをつくっていこうと。こういうことでございます。新政策も同じような柱で、一番はじめに出てくるわけで、一番はじめに出てくるのは、絶対そうではないかもしれませんが、私の気持ちとしてはやっぱり究極の一番大事な伝えたいことという気持ちで、これを作らせていただきました。別に、これは論理的に言っているわけではありません。手元の資料の中に書いてございますが、学校教育、特に学力、全国学力・学習状況調査の試験がいま一つだ。これは別に、それに対して問題にすべきではないと思っています。それについては、やろうと思ったらすぐに上がると思いますけども、そうではなくて、読解力、思考力、応用力や学習意欲に問題がないかということを上手く書いてあります。それから、生きる力はどうか。例えば家族旅行で、でっかい環境を築く能力とか、社会復帰に関わろうとする意欲とか、あるいは公徳心、規範意識、社会的責任、そういうものをちゃんと子どもたちに身につけてもらってるかどうか。そういうのが課題かなと。それから、この郷土について、ちゃんとした知識があるかな。それから国際化とか情報化とかそういう問題、個人的な問題についてもちゃんと頭の中に入れてもらってるか等、そういう課題を我々は議論の結果、指摘しました。それに対してどうしようかということは、次の実施する主な政策のところに書いてあります。
 例えば、確かな学力ということは学ぶ楽しさや知る喜びです。私は、和歌山大学の付属小学校・中学校に行きました。それから桐蔭高校に行かせてもらいました。両方とも自分にとってはベストの選択だったと思いました。小学校・中学校のときは家庭的な雰囲気の中で先生も一生懸命教えてくれた。それを聞いて、先生を尊敬する気持ちになって、それで中学校にいくとですね、ちゃんと教えてくれたうえに、勉強する方法論なんかも教えてくれた。それで高校にいったらですね、結構色々ありまして、たまには先生も変なことを言うなあということも経験しました。けれども方法論はちゃんと教えてもらってますから、先生のいうことはちゃんと聞きます。まあ色々アドバイスはしてくれるんですけど、結局は自分で考えなあかんなということで、自分の人生とか進路とかそういうことも考えます。そういう意味で考える力もついたと思うし、それからそれを指導してくれる良い先生にも恵まれて、ほんとに私は幸せだったと思います。こういうようなことを全学校あげてすべての子どもたちに、ぜひ今後皆さんのお力でやってもらいたいと思っております。
 それから、言葉の力、特に論理力、表現力そういうものがついていないと。それは国語の問題ではなくて、いろんなところで問題になる。例えば、本をもっと読んだら良いのではないかとか。それから体つくりもそうです。国体で良い成績を取ることも大事なんですが、それも頑張ってますが、それだけじゃなくて、全体的な体づくりっていうのもしっかりやっていこうと。それから市民性を高める。私は道徳教育をやろうと思ってたんですが、市民性を高める教育をするということで提言をされた。まあ中身は殆ど一緒だと思います。正面を見て、良いことは良いことだと、悪いことは悪いことだということで、何も好奇心がどうのこうのと言わないで、その心っていうのをちゃんと教えるということが大事なんじゃないかと考えています。
 それから職業観、勤労観をはぐくむということも大事ですが、もう一つは、ちゃんとした高校環境。就職の指導もしようということであります。それから郷土への愛着を育む教育をしようということであります。それはちょっと今日は長くなりますが、私は和歌山に久しぶりに帰ってきて勉強してですね、和歌山はいかにすばらしいかってことをたくさん勉強しました。我が身を恥じております。子どもたちにこういうことをザッと教えて、それでこの郷土のために尽くそうとか、郷土の出身を誇りにしながら生きていこうとか、そういうことをちゃんと教えることだと、ウソを教えてはいけません。正しいことを教えるべきだっていうふうに思います。そういうことを考えております。
 もう一つは、刺激というものも大切だと思います。和歌山にいて一つ困るのは、マスコミを通じてテレビのブラウン管の向こう側とこちら側がやっぱり閉じている。それから新聞の活字の向こうとこちら、東京なんかにいるとそれが閉じてなかったりっていうのが多いんですね。いろんな経験がたまり、偉い人と話をしたりできるんですね。そういうことを閉じてないような形で、和歌山の教育に一生懸命取り組んで、それでいろんな催しをしたり、あるいは、皆さんのような立派な方々に子どもたちに自分の人生などを語ってあげたり、そういうふうなことをですね、どんどんやっていかなければいけないと思っています。
 それから私学と公立についてはですね、ぜひ協力の関係で、対立ではなくて協力の関係でいきたい、そんなふうに考えていろんな仕掛けをしているところです。今日も私学の人も来ても良いのになというくらいの気持ちでありますが、そんな感じでございます。それを一番大事なところに掲げておりまして、新政策をこういう紙(配布資料)に書いてありますが、それの一番はじめに出てくるのがこれで、二番目がスポーツ・国体。同じようなことで今年もこの政策をブレイクダウン(分解して再評価)していきます。例えば、市民性教育であれば、カリキュラムで実施っていうだけじゃなくて、教育コミュニティーっていうのを作って、みんなで地域ぐるみで子どもたちを大事にしていこうじゃないかと、そういうことを和歌山県でやっていきたいっていうようなことを具体的に書いてあるんです。それで、そういうことで一番というふうにでありますが、一つだけ申し上げますと皆さんには、ぜひ子どもたちを第一にということをお願いしたい。私はクライアントという言葉を一番大事に、県政でもクライアントが大事だと、これはね、お客さんというとお店スタイルにきこえますが、このクライアントっていうのは、もともとはクリエンテっていうイタリア語で、これは自分の庇護をする神であるということからきてるんです。これは上から下をみてる概念なんですが、そう上から見なくて良いんではないか。大事な人は我々の対象である。我々は教育の場合、そういうふうに思います。自分の立場を主張するんじゃなくて、子どもの立場で、ぜひぜひやってもらいたい。何故ならば教育者として、あるいは教育行政としての立場だったとして、子どもは一年一年過ぎていく。私は、この中で朝令暮改(※)はいかんと言ってるのは間違っていると思っています。県政でも県の普通の行政でも間違っていると思っているんですけど、何故なら県政と違って子どもは一年しかない。例えば、中三のときは一回しかない。中一のときは一回しかない。その子どもをですね。100%大事にしようと思ったら、自分が間違ってる部分はさっさと改めるべき。そういうふうに思っているわけであります。そういうことで、ぜひ子どもを大事にしていただきたい。第3番目は、管理というのはですね、各校長先生方大変大事なことになる。教育委員会からもそういういろんな要請がくるっていうことだと思います。しかし、管理というのはやるしかないわけですが、ぜひ心のこもった論理的な管理をしてもらいたい。言われたら困るからそういうふうに思うわけです。それで三番目に、私は天下太平に拓けたというふうに思っております。教育の場で子どもたちを育てていく、子どもにとって、これは逆にいうと大人もそうなんですけど、ひたむきな気持ち。したがって、タイトルは「未来を拓くひたむきな人間力」ってなってるわけであります。その「拓け」を培養するものは感情主義であり、それから「ひたむき」を培養するものは真心であると私は思います。そういう意味で、ぜひ真心で教育をしていきたいと思っています。これは別の言葉で言いますと、県庁の中でこれは必要なんだけれどもそういうことを言わないで、究極的には、それでとどまることが許されないということがたくさんあります。今そういうふうにして、県庁全体を指導してるっていう感じです。色々お願いしたり怒ったり、そんなことをしながらやっています。それは一、前例がない。 二、規則はこうなってる。 三、朝令暮改はいかん。 四、予算がありません。 五、自分の仕事ではありません。 六、国の指導です。 七、どうせ私なんか力がないもんですから。こういうことをいっちゃいけません。こういうことになっています。何故ならば県民のために一生懸命やろうと思ったら、前例にないからといって考えないというのは、それから規則はこうなってるというのはないはずだ。誰のための規則か、県民のための規則である。それから予算がなければないなりに工夫して何かできないものか。それから自分の仕事でないというなら誰の仕事であって、その人をどうやって救ってあげるかということを少しは考えてあげないと、県庁の職員として恥ずかしいんじゃないかと。それから国の指導ですといっても国だって間違うこともあるんだから、反論すればいいというときもたまにはあると思いますね。それから、どうせ私なんかと言われたら県民はもっとつらいはずだ。こういうふうに思って、みんなで頑張ろうと思っています。これを教育の現場にかえてしまいますと、例えば「前例にない」という人が職務創造性を持ちましょうとは言えないはずだ、となります。それから「規則はこうなってる」というのだったらその規則が職務論理性を持ちましょうということは言えないのか。何故その規則があるのかということをちゃんと説明しないと、子どもは納得しないと思います。それから朝令暮改については申し上げましたが、子どもの視点から考えれば、自分の朝令暮改などは、さっさと改めてごめんごめん間違えたと言えばいい。それから「予算がありません」というと、創意工夫がないと言っているしりから、お金がないもんはやめとくとはなかなか言えないもので、それから「自分の仕事じゃない」というと、思いやりもあるよな、配慮もあるよな、というような教育の心がちゃんと説明できてへんやないかと。それから「国の指導です。教育委員会の指導です」と言ったら、何でもはいはいということをきいてれば立派な大人になるんかと言われると、なかなかそれではついていけない。「どうせ私なんか」と言われると、どうせ僕なんかバカでというやつに、まあしっかり頑張れとは言えません。
 子どもは常に先生の後ろ姿を見ながら成長するということで、したがってそれぞれ非常に柔らかい頭と情熱を持って子どもを育てていただきたいとお願いいたしまして、私の話とさせていただきます。ありがとうございます。

※朝に出した命令を夕方にはもう改めること。方針が絶えず変わり、定まらないこと。

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