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寄稿・提言・訓辞・挨拶集

新聞・雑誌等への投稿や、各種行事での講演・挨拶、政府への政策提言等を通じて、知事の考え方や政策を紹介します。

県立学校校長会

平成20年4月16日 自治会館/和歌山市

 皆さんおはようございます。こういう機会を与えていただきまして本当にありがとうございます。先ほど、山口教育長のお話をうかがいましたが、先生に意見をいうのは難しいというようなお話がありましたが、校長先生に意見を言ったりお話するのはもっと恐れ多いという感じがいたしまして、教育委員会の代表者の会議ではしょっちゅう県庁でお話しているので慣れましたが、校長先生を前にすると子どものころの感慨が直ちに蘇ってまいりまして、なんか雲の上のもの凄い人やというような感じがして、どきどきするという感じがいたします。それでも、せっかくの機会を与えていただきましたので、教育問題は特に大事なことだと思っていますので、ちょっとお話をさせていただきます。
 まず、お手元に資料を2つ配らせていただいております。1つは和歌山県長期総合計画の抜粋で、PR資料の方ができていなくて、まだ大PR作戦を実施するというところまでいっておりませんけども、この番号に注目していただきたいと思います。和歌山県の長期総合計画には大きく分けて6つの望ましい和歌山の姿を実現しようというふうになっておりますが、その1つは「未来を拓くひたむきな人間力を育む和歌山」であります。その第1項に「元気な和歌山の未来を拓く人づくり」。一丁目1番地の中にそういう言葉があります。
 和歌山県にとって一番大事なこと、究極的に一番大事なことは、やはり若い人たちを育てていくこと、この和歌山を再生させるということ、そういう観点で究極は人を育てていくということだと思っています。そういう意味で心をこめて、実直に作成してあるということをぜひ実感されたいと思います。中味については、そこに書いていますので、いろいろ短い言葉で万感の思いをこめて、これは例年の長計に比べると厚さが3分の一か4分の一ぐらいになっています。それだけ、短くホニャホニャと書かれて何を言っているかわからない、そういうことになるんですが、そうならないようにできるだけ具体的にしました。だけどそれには限度があるので、省略されているところもありますし、具体的な目標がきちんと書いているところもあります。
 ぜひ教育の現場で、ときどきこの長計を見ていただきながら、学校の教育を熱心にやっていただきたいとこういうふうな話です。
 それから県庁は、もう1つこの一枚紙を配らせていただきましたが、毎年、これから毎年、新政策というプロセスを導入することにいたしました。これは何かというと、20年度に始まったばかりです。だけど21年度にじゃあ何をしようかということを考えると、これを逆算していきますと、21年度に何か予算を伴うことをやらなきゃいけないと思うと、その前の2月の県議会で議決してもらわないといけない。そうすると、その前に予算を作らないかん。その予算を作る時に、例えば和歌山県だけで独立でできるわけではないから、例えば外部部局とか教育委員会でバタバタと決めるとだめである。先生方の意見を聞かないといかんし、それからひょっとしたら国の政策とタイアップしておいた方がいい場合もある。そういうことをいろいろ考えますと、国の一例をあげますと、予算とかそういうものはどうやって決まるのか、というと国も新政策のプロセスをやっている。それで8月に概算要求を財務省に出しますが、その財務省に出した時はそろそろ意志決定されている。だいたい11月には決まっているんですが、私は知事になったのが12月です。早速、県の予算要望の実現のために、財務省とか各省に行っていろいろやってくださいというわけです。これは完全にやらせです。何の意味もありません。もう決まっています。したがって、何のことだかと思ってみるんだけども、テレビは各局一応映しますし、まあそうかといってやったふりして、まあ挨拶ということを兼ねていますから挨拶をして、今後の予約と来年の話なんかをしてきたわけです。だけどそれを本当にまともなことをやろうと思ったら、各省には5月か6月ぐらいに出しとかなきゃいけない。そうすると各省に出しておいて自分は何だっていうのは、わからないといけませんね。自分がこういうものをやりたいから、各省にこういうものをやってくれと、こういうことですよね。そうすると自分は何をしたいんだというものを、まあ不完全な形だけども4月くらいからみんなで議論しておかないと、そんなもの簡単にできないですよね。そういうようなことをですね、4月くらいから毎年やっているわけです。そして今の制度がおかしいところがあるとどんどん訂正しようとしてですね、一年を通じて反省材料にするわけです。そういうものがございまして、それの集大成したものが予算と一緒になって和歌山県の政策として20年度にやろうと思ったということです。
 これは予算の前にですね、予算を県議会に出す前に出させてもらったところです。ここも1と書いてありますね。要するに和歌山の教育、これが一丁目1番地。2番目が青少年の体力・競技力。これが2番目。こういうことなんです。
 ぜひ、皆さんこういうことを念頭において、和歌山県の県政は校長先生方にかかっているというぐらいの感じでお願いしたいと思います。それをちょっと説明申し上げますと、1つは、下の方へ書いてございます。まずその市民性の育成というのをやろうじゃないか、具体的には「きのくに共育コミュニティ」。これは地域と一緒になって、一方ではモンスターわがまま親、一方ではデモシカ教師が、それぞれあるということですよ。なんだかんだ言っている。こんなんじゃいかん。責任を押しつけあったりしてると子どもがかわいそうですよね。したがって、共育コミュニティというものを作って地域ぐるみで市民性を養ってあげましょう。
 もう1つはきちんとした躾というか、心の持ち方、そういうのを若い人たちにもわかっていただける仕組み、それを恐れていたらですね、たぶん子どもたちが本当に不幸になるんじゃないかなというふうに思っています。何も道徳教育というと、自動的に戦前の軍国主義復活やとかなんとかいうことを言った人が私が子どものころにたくさんありました。だけど、その我々もまた本当にあれで良かったのかなあといった人も含めて、反省しているところもあるようです。
 最近、教職員組合の人らとちょっと個人的に話をしたのですけど、やろうやろうという人もいましてですね、嫌な顔をしている人もいましたけども、子どものためにですね、そういうことは少なくとも問題提起をして、子どものところに返していく必要があるんじゃないかというふうに思っています。
 道徳教育をやろうと私が言いましたら、山口教育長は「市民性教育という意味で道徳をやろうと思います」と言いましたので期待をしております。
 その次に、良き職業人の育成ということでございます。これは、3つぐらいの問題があると思います。1つは、和歌山県で雇用を増やしていくということを考えた時に、人材がいますかという話なんですね。例えば、企業に来てくださいという時に「人材がいますか」と。「いるよ、和歌山県はみんな優秀なんだよ」と僕は言ってるんですが、果たして、高校の普通科以外の教育が、本当にこれから伸びるような、あるいは必要とされるようなジャンルと深く関わっているかということも思います。格好良く「○○学科」というようなものを作りたいんだと言ってやっていないかなというところもあると思いますので、そういうことについて考えてもらいたいです。
 2つ目としては、働くことの意味を子どもたちにきちんと教えてもらわないといけない。それは怖れだけの問題ではないと思います。私もそういうものについては全然だめでした。学生時代はモラトリアムと同じでも、働きに出ることは、やってみたら大したことがなかったんですけれど。そういうことについての、職業がもっている崇高な意義というのはみんなにわからさなければならない。それで世の中ができているわけです。
 もう一つは、就職です。若い人たち、特に高校を出た人たちの就職活動に対する支援が高校として十分なのかなと、私は最近大変疑問に思っています。なぜなら、大学生は就活をやっています。私も経済産業省や通産省の時代に、就職担当の課長補佐をしました。初級(職)から中級(職)、上級(職)の全部が私の前を通りすぎていく。この人たちに、それぞれの心を聞いて、私たちがもっている情報も伝えて、互いに議論をしながら案を決めます。歯に衣着せずに申し上げますと、中央官庁は身分制社会です。例えば、中級職の人は必ずしも昇進するような上級職の人とは違います。最近は、私の(昭和)59年組、60年組ぐらいですが、中級職の人で、もの凄く優秀な人がいます。2年くらい民間にいて、ちょっと変わりたいということで来られた人で、上級職で入っている人とゼミの学友であるという人もいました。その人にちゃんと全部言いました。「昇進スピードが違うぞ」と。「おまえは一緒でいいのか」と。それから「なぜ来ようとしているのか」と。無慈悲なようだけど、全部言ってやるから全部考えろ。1つでも嫌だというならやめた方が君のためだと言って、そういう立派な人にはすべて申し上げました。そうしたら、悩み深い顔をしていましたが、2日ほど経って、すっきりした顔をしてやってきて、それでいいから頑張ると言って通産省に入りました。今、そろそろ管理職になって一軍を率いて頑張ってくれています。海外生活もして強力なスタッフになって、ほとんど上級職と同じような活躍を最近はするようになってきた。だけど、嫌なこともたくさんあるだろうから、初めからそれは言っておく。
 就職の時、子どもたちはあまりたくさんのことを考えないでやってくる。高校生活の最後に、無限の可能性がある状態で、自分はこういうのをやりたいからと。だけど、就職というのはある意味ではあきらめであります。自分の進路を1つに決めると(他のたくさんのやりたいことは)ちゃんとあきらめさせないと、今やっていることが不満だらけになって、だまされたという気持ちになってすぐやめてしまう。そういうことを放置していていいのかという感じがします。就職をして、あっという間に理由もなくやめてしまう子ができたら、私はそれは就職を指導した教師の責任であると80%くらい思っています。じゃあ教師は責任をとっているかというと、全然とっていないような気がいたします。
 この間、あるところで話をしていたら、大学生は本人が就活をして決めているから大学がそんなことなどしなくていいのではないかと思うのですが、就職してうまくいかなかったら、母校に連絡する。そうすると、何がうまくいかなくて、次はどうしたらいいかという指導をしてくれたり、コンサルタントカンパニーを雇ってそこが次の就職を斡旋してくれたりということまでやってくれます。それは、今、競争社会になっているから、母校の大学の成果を落とさないようにしているということではないかと思っています。
 就職のことばかり申し上げましたが、子どもたちを慣らしていかないとということを考えている次第でございます。
 それから、ふるさと学習でございます。このことについては、私は自らを恥じております。同時に教育委員会に対し怒っております。なぜなら、和歌山のことをほとんど知らなかったからです。高校3年までずっと和歌山に住んでいました。だけど、郷土のことを教えてもらった記憶は、小学校か中学校の初めに、地理か何かでちょっと教えてもらったくらいです。割と私は真面目な学生でしたので、市町村の名前などは完璧に覚えましたけれど、教えてもらったら多少は覚えている。ある時に、桐蔭高校の恩師の方に「あなたに教えてやったけどな」と言われて、「先生に教えてもらったでしょうか、記憶がないんですけれど」と言うと激怒されて、成績表を持って来られて、「ほらあるじゃないか」と。そのようなかげんですが、それでも多少は残っているんだなと。
 私は、和歌山のことを今一生懸命勉強しています。そのきっかけになったのは、博物館の1葉の写真でした。それは、カッペンというプロイセンの下級士官の率いている紀州藩の洋式軍隊の写真でした。なんだこれはと、そこから調べたら、もの凄いことが続々と出てきてですね、薩長史観に和歌山県はほとんど消されている。消されているのは、教育委員会も一緒になって消しているのではないかと思いまして、これはいかんと。何も県粋主義的な教育をするつもりはないんですが、わが郷土に誇りをもつような、あるいは郷土についての知識をちゃんともってですね、「和歌山県なんかあかな」と思うんではなくて、いいところもいっぱいあるぞということを思って、それで別に和歌山県でなくてもいいじゃないか、いろんなところに行って自慢のできるような知識をちゃんと子どもに与えたらどうだろうかということでございます。
 それから言葉の力、これはやっぱり論理的な思考力というのは大変大事で、今、あっという間に単語だけでパッとイメージで右へ行ったり左へ行ったりする、そういう時代になりつつありますけど、本当に賢い子は、考える力というのはちゃんとあるということだと思います。それは、言葉の論理力、それは読書によってなされる。それによって学力も本当はつくようになるということだと思っております。これは教育委員会の方で考えていただいたらという形で、言葉の力の向上、読書活動の推進ということです。
 それから、外部人材の積極活用でございますけれども、これは和歌山県として1つ、我々としてなかなかつらいなあというのは、テレビやラジオや新聞や、そういうマスメディアでないと、ちょっと有名な人たちと話をするとか、それからもの凄く立派なものを見に行くとか、そういうのは難しい。それは東京へ行かないかんとか、大阪へ行かないかんとか、「やっぱり我々和歌山」とこういうことになると不愉快である。子どものころにガツンと一発刺激を受けたり、うれしくなったり、そういうことによって子どもはどんどん伸びてくるということがございます。私自身はそんな経験はあまりないんですけれども、そういうことを研究するところはたくさんある。したがって私はこういうことをぜひやりたいと思っていて、大きく分けて教育委員会すべてでやるのは、全県一区で、例えば、第1は毛利さんにおいでいただきました。それから2番目は、生物部系のお話ですね、奥本大三郎という人を呼んでやっています。そういうことをときどきやって、みんなそれぞれ、その人たちの若い時のこととか、そういうことを勉強して刺激を受ければと思います。それから各学校でも、それほどオールジャパンで有名でなくても、それこそ今いらっしゃる校長先生が若い時にどうであったか、財界人で活躍しておられる人はどうであったか、県庁のOBがどうであったか、それから県出身者でどこかで名をはせた人がどうであったか、そういう人たちの昔話、おじさんの自慢話になる可能性はありますが、そういうことを聞いておればまた刺激になるんじゃないかなと思っておりますので、そういうことを大いにやろうじゃないかということです。
 それから公立と私立、これは何も対立意識で語られるものではないと思います。私は公立高校出身でありますけれども、だからといって公立がすべてでなければいけないという必要はなくて、みんながそれぞれの立場で考えればいい。すべて和歌山県の子どもが対象になるんではないかというふうに思っております。
 2番目のスポーツのところは、夏期の国体とかございますが、今、一生懸命私たちも用意するために頑張ってます。それについては省略をさせていただきますが、いずれ具体的な話を述べさせていただこうと思っております。
 最後に、校長先生方に恐れ多いんでありますけれどもお願いを申し上げたいと思っております。校長先生というか、先生という方々はやっぱり子どもさんという、一番弱いものをあずかっている。私は県民に責任があって、県庁のこと、もちろん自分の地位もそうですが、それが中心ではなくて、県民のためにどうですかということを県庁を中心に据えてやっていこうじゃないかということを、常に県庁の職員に言っております。そのように自分にも律しております。先生はどうかというと、先生のための先生であってはいかんというふうに私は思います。子どものための先生でないといかんのではないかというふうに考える次第であります。先生はあくまで教育者であってほしい。そのためには多少手続きとかどうでもいいではないか、まあそんなことを言うと叱られるような気もしますが、はっきりいうとそういうことでありまして、破天荒な先生でも生徒の心をがっちり掴んで、それで生徒をいい方向に導いてくれればそれでええやないか、学校だってそうだし、校長先生だってそうだしということを役員会の時に思う時もあります。例えば子どものことを考えるとさっきの就職の話なんかはどうだろうか。例えば(高校生は就職活動ができないので、“職場体験”というかたちで)インターンシップというのをやっていますね。インターンシップというのをやっているということによって、(ミスマッチや、就職後に短期間で辞めてしまうような)現在の問題が発生している状況が全部説明できればそれはそれでいい。説明できなくて、やっぱり問題があるとすると、何か考えないといけないというようなことで、「就活」(という方法)でなくてもいいんですけれど、なんか考えてあげないといけない。「私はやってます」これは役員の先生ですね。「子どもたちのために十分か」っていうのは教育者の立場だと思うんですね。だからそういう意味で子どもたちのためにすべての視点をつけてやってもらいたい。例えばある事件があって、何とは申しませんが、和歌山県の教育を否定するような、大きな制度について県議会で議論があって、その時にですね、まあ露骨に言うと入試制度でありますが、聞こえてきたことは「朝令暮改はいかんといってる人がいます」ということであります。朝令暮改がいかんのは自分にとっていかんのであって、子どもにとっては朝令暮改でも何でもいい。こういうふうに私は思います。自分にとっていかんというのはこういう制度を作ってしまった人が格好悪いからいかんということではないかと思うわけであります。本当に朝令暮改であろうとなかろうと、そっちの方がいいのであればそっちの方がいいというサブスタンスも議論をするんならいいんだけども、作ったばっかりですぐ変えるのはいかんというのは、作った人の論理ではないかと、作った人の論理が優先して、子どもの論理が優先しないのはけしからんというふうに私は思います。なぜならば、子どもは1年しかないじゃないか。
 最後にちょっと好きな理論を申し上げますと、徳川頼宣という人がいます。紀州藩の徳川家としては初代の藩主ですね。この方が大阪夏の陣か冬の陣かどちらか忘れましたが、先陣を私にさせろと言ったんですが、まあ御曹司ですから可愛がられているし、おまえはだめだと言って2番目か何かにさせられたんですね。それで気性が荒いものですから、無茶苦茶暴れたらしいんです。どういうことだと言って怒鳴りまくったりした。その時に徳川家康の側近の立派な人が、やわらかく「そんなに急いで張り切らなくても、あなたはまだお若いし、将来がいっぱいありますから、よろしいんじゃございませんか」とこういうふうにお諫めした。その時に「14の春は一回しかない」と言って徳川頼宣はやっぱり暴れた。例えば入試にしても、その子どもにとって受けられるのは2回しかない。それから、子どもにとってその日その日の授業は1回しかないということをぜひお考えいただいて、一番いい方法を学校の中でお取り組みいただけるように、校長先生には恐れ多いんでありますけれども、お願い申し上げまして、これは命令すると橋下さん(大阪府知事)みたいに怒られちゃいますので、ぜひお願いをしまして、子どもの見地からお考えいただきたい。このように思います。

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