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寄稿・提言・訓辞・挨拶集

新聞・雑誌等への投稿や、各種行事での講演・挨拶、政府への政策提言等を通じて、知事の考え方や政策を紹介します。

「和歌山県政経文化懇話会第442回例会」講演録「紀南の振興について 医療・産業・観光」

 紀南の振興についてお話をさせていただきます。
 紀南地域の振興といっても紀南だけに特有の政策があるわけではありません。政策手段は同じように整備しながら、それは紀南に役に立つはずだと思って、いわば箇所づけ的な感じで紀南に手厚くするとか、この政策をやれば紀南のために特に役に立つとか、そういうようなことで考えておるという話です。
 したがって、お手元の資料はそのようにつくってあります。一番初めに紀南についての見解というのを述べた上で、特に紀南について必要だと思われます農林水産業の振興、観光の振興、それから道路、最後に医療の話をさせていただきたいと思っております。
 まず、紀南地方の状況、資料の二ページですが、紀南を一応西牟婁、東牟婁とさせていただきました。
 それで、県の人口に占める割合は二〇%ぐらい。昭和五十年と比較すると、人口は何と一二・四%も減っておるということです。大体いつもそのようにしていますが、ここに昭和五十年ぐらいから最近に至るまでのデータを並べております。和歌山県の人口は、昭和五十年に百七万人ぐらいで、その後少し増えて、今減りつつあるというところです。平成17年と比べると減ったのが三・四%。ところが、紀南に至っては一二・四%も減っています。したがって、紀南はかなり減ったところということが言えると思います。
 一方、所得はどうなったか。総生産で考えてみますと紀南地方の総生産は大きく減少しています。人口がそれだけ減っているのですから生産も当然減るわけです。全国も平成八年と平成十六年を見ますと、マイナスです。このマイナスはこんなに減ったのかという感じなのですが、実は名目で調べました。この時代はデフレですから、平成八年から十六年まで名目では実は減っているのです。もちろん物価もこれ以上に下がっていますので、実質所得は上がっています。だから、こんなに暮らしが困っているというわけではないと思いますが、名目では平成八年から十六年まで一・三%の減です。和歌山はどうかというと、実は〇・七%の減で、全国より少しましであったというのがこの時期です。ところが、紀南は八・二%も下がってしまったということです。
 一人当たりの所得を考えるとどうであるかというと、全国は六・六%も下がりました。和歌山県は二・九%下がったのですが、紀南は実は一・五%しか下がっていない。どういうことかというと、人口がずっと減りましたが一人当たりの所得はそう減っていないということなのです。ということは、相対的に紀南の人は個人個人がものすごく貧乏になったというわけではないかもしれない。だけど、地域全体の力は、やっぱり人口が減った分だけ落ちています。相対的に紀南の地盤沈下が大きくなってきて、これは大変というのが今の流れではないかと思います。
 そうすれば、ではその紀南をどのようにすればいいかということなのですが、実は紀南を紀北に比べて振興するという概念は、あまり正面から取り上げてはいけないと私は思っています。紀南も頑張れと、しかし、その政策はひょっとしたら紀北で行われる政策である可能性もあるからです。
 例えば道路をとると、後で詳しくご説明申し上げますが、紀南が発展から特に取り残されたのは、やはり道路の影響が大きいと私は思っております。しかし、その道路を直していくときに、紀南の道路を直せば何とかなるかというと、そうではなくて、実は関西圏とつながるところをきちんとつくらねばならないということが一番大きな目標であると思います。そうすると、その工事は実は紀北でやる場合もあるわけです。紀北でばっかり工事をして、紀南はそのままというのは間違いでありまして、紀南にきちんと利益が回るような政策をやればいい。
 それから、紀北の振興、あるいは日本全体、あるいは関西、そういうものが全部栄えてくれば、それは紀南についても裨益するわけですから、一方を等しからざるを憂えて、紀北より、紀南だけ何とか先にするというと、コストパフォーマンスがものすごく悪くなるということではないかと思っています。しかしながら、紀南に効く政策というのをやらないと、やっぱり紀南の方は浮かばれないというところもあると思うのです。そういうところは、県の中でも特に大事な政策として取り上げて一生懸命やることによって、結果として紀南が伸びていくということになるかと思います。
 その第一が、五ページですが、農林水産物です。和歌山は一言で言うと、果実の生産額日本一の県でありました。残念ながら短期的には青森県に負けておるというのが現在のところです。
 青森県は、こう言うと少し言い過ぎかもしれませんが、リンゴのモノカルチャーの県です。リンゴを特に一生懸命つくって、昔は小さいリンゴであったのが、今は大変大きいのが主流になって、それを木を植えかえ、大事に育て、輸出もし、頑張ってやっています。
 一方、和歌山県は「合わせ技一本」の県であります。みかんはもちろん有名ですが、上の表を見ていただきますと、生産額でうめ一位、かき一位、はっさく一位、みかんは生産量では一位ですが、生産額では残念ながら僅差で二位。それから、もも三位、すもも二位、清見二位、いちじく二位、いよかん二位、セミノール二位と、ずうっと沢山続いていて、これに書いておりませんが、最近はキウイ二位とか、そういうのが沢山あります。そういうのを全部合わせてやっているので、これは考えてみれば脆弱な構造ではないわけです。
 ただ、逆に言うと、何かでとりあえず食っていけるかなというのもあって、それで地域全体としては何とかこれを一本として考えて頑張る、もっともうけるということがなかなか難しい。意識に上るのが難しい。モノカルチャーだったらそれしかないわけですから、むちゃくちゃ頑張るわけですが、この地域はこういうのをつくっているのですけどといって、ある程度売れるわけですから、それでいいやということに甘んじるおそれがどうもある。別にそういうことを農家の方が思っているわけではないと思いますが、そういうことがあって最近では二位に甘んじているということです。
 それでは、何をしたらいいかということなのですが、水産物も含めて私は圧倒的に売ることに力を入れるべきだと思っています。例えば、中国に行ったときに経験したことですが、中国の高級スーパーマーケットには一番奥まったところにものすごい高い果物があるわけです。千疋屋とか高野(たかの)よりもっと高く売っています。それの中身を見ると日式とか日国産とか書いてあります。日本産という意味です。それから美国産とか書いてあります。美国はアメリカで、日国は日本です。中国の人にとって、アメリカのものとか日本のものとかいうのは憧れを売っているわけです。そういうものにちゃんと関与して沢山の付加価値を消費者からいただかないと、生産者の方に利益が回らない。そうすると、その生産者の方で例えば生産額を拡大したり雇用を拡大したりということがなかなか難しくなるということだと思っております。
 先に言ったみたいに、まあいいかというので、つくるのは一生懸命なのですが、あとは仲買人にポンと任せているというのが割と多いのです。ベースはそれでいいと思いますが、例えば加工して売るとか、特別のものを輸出してやるとか、そういうことを大いにこれから考えていくべきではないか。それから、統一ブランドをつくってワーッと売るというようなことも考えるべきではないか、こんなふうに思います。
 東京ではもちろん、大阪でももちろんなのですが、和歌山のスーパーマーケットで和歌山産の農産物にブランドをつけて大量に売っているというのを皆さんは見たことがないと思います。例えば近くのスーパーで、私は時々帰りにちょっと寄せてもらって、朝御飯なんか買って帰ることがあります。例えば春はイチゴを売っているわけですが、スーパーへ行ってイチゴを買おうとすると、栃木県産のイチゴが「とちおとめ」とかいうブランドをつけて、包装を共有してバーッと並べた棚があるわけです。それで、その隣に同じようなパックですが、何も表面に書いてなくて、シールのところに小さく和歌山産と書いてあるイチゴが三つ四つ並んでいます。
 それで、実は和歌山産の方がおいしいと私は思います。産地にも近いし、完熟のものを出しているし、実際に味は絶対こっちの方がおいしいのですが、ご婦人方の消費者行動を見ていると、どうも統一デザインでワーッと売っている栃木県産をパッパッパッと買っていくのです。どうもそういうところで負けておるのではないかと私は思いますので、ぜひ販売で勝負しようということです。
 それで、何をしたかというと、アクション・プログラムというのを七月の初めにつくりました。六ページ以下に書いてあります。大きく分けると四つの柱立てになっています。
 一つは、推進体制の強化ということで、専門家を呼んできました。商社のOBなんかで定年を迎えた人で、専門知識を活かして今はボランティア活動なんかをやってもいいなという人が、私が元いた日本貿易会にボランティア活動のNPOがありまして、そこに登録しているのです。そうすると、何か必要だというのであっせんしてくれたり、大学に行ったり、それから子供達に特殊言語を教えるとか。例えばアチェで地震が起こったときにはインドネシア語の専門家がワーッと行ったり、そういうことをやってくれています。そこにお願いをして、農林水産物の流通の専門家をぜひあっせんしてくれと言ったわけです。それで、農産物の流通アドバイザーとか輸出アドバイザーとか水産物販路開拓アドバイザーとかを呼んできまして、時々和歌山県に来てもらって集中的にいろんな指導を受けます。
 我々は、市場に出したら、その向こうで何が起こっているかはあまりよくわからない。ましてや輸出になると何が何やらさっぱりわからない。だけど、実際に物を売るためには、これを誰に売って、誰が商権を持っていて、それを達成するために何をしてというのは全部ノウハウが要るわけですね。そのノウハウを教えてもらいながらチャレンジを少しずつやっていこうではないかというのが全体の流れで、まずそのアドバイザーを呼びました。
 それから、国内対策を頑張らないといけないので、これは攻めていきます。私はこれにはものすごくびっくりしましたが、今まで和歌山県が農業で県外にプロモーションをかけたことは実はなかったのです。ようやく今年の二月に大阪に攻めていきました。何も私は自分を誇るわけではなくて、これは私が決めた政策ではありません。私が知事になる前から、これではいかんと思ってみんなが考えて大阪を予約してくれていたわけです。たまたま知事になりましたから、そこへ行って「頑張って」とかやりましたが、それに加えてバイヤーを増やしました。
 一回のこういうプロモーションをかけるのはすごく難しいのです。皆さんの中でプロモーションをやられた方もいらっしゃると思いますが、臨時に店を出してお客さんに来てもらうのはものすごく難しいのですね。そこに老舗があったらお客さんが勝手に来る場合もあるわけです。すごく難しいので、一生懸命声をかけて、例えば日本の流通のトップみたいな人を、私も知らないわけではありませんから、そこへ来てもらって、それで和歌山県のワーッと攻めていった人達とマッチングをしてもらったのです。それが大阪のOMM(大阪マーチャンダイズマートビル、天満橋)というところでやったのが第一回目の和歌山出撃の記録です。これまでは全部防衛戦をやっていたわけですね。
 来年は、それももちろん続けたい。大阪でも随分成果があったようですからこれを定着させていきたいと思っていますが、加えて東京にも攻めていきます。これはFOODEXという十万人が来るフェアがあるのですが、そこへ行くと、バイヤーは今年は何を探そうかなとウロウロ見に来るわけです。そこへ和歌山県の旗を大いに立てて、さあみんな集まれと言って、全員で突撃というふうにしようかなと思って、今声をかけております。今のところ石川県が最大のブースを持って頑張っておりますが、現在ただいま時点において申し込み数は石川県を凌駕いたしました。もう少し声をかけて、みんなでやっていく。それだけのいいものが和歌山にはあると私は信じています。
 この間も和歌山のおすし屋さんがこういう機運に乗じてくださり、たまたま県議の方が連れてきていただいた方の話を聞いたら、柿の葉すしのシェアを何割か食ってやるぞという人がいました。「あせ寿司」というのが和歌山にありますが、なぜ売れないかという理由を分析してくれたのは全くそのとおりで、なかなかおいしいし、柿の葉すしよりフレッシュです。だけど、あの包装ではせいぜいやっぱり和歌山のラーメン屋さんでしか売れない。一方、柿の葉ずしはきれいに包装してパッキングしていろんなところで売っているから、市場が二百億円ぐらいあるのではないかと言われています。それの何割かを奪ってやる、頑張ると言うから、ではFOODEXへ行ってやってみようじゃないかという話をしたのです。そういう起業家を我々は待っているわけで、その起業家に場所を提供し、機会を提供するというのが大事だと思っています。
 ほかにも量販店と組んだり、今度は優良サプライヤー、バイヤーと言ってもいいかもしれませんが、そういう方に和歌山に来てもらって、サプライヤーをみんな集めて、そしてそこで商談会を仕組むとか、そういうことを沢山やっていきたいと思っております。
 それから、七ページのその二のところにありますが、海外にも攻めていかなければいけない。これは少しずつやっていきます。やっていきますが、今のところまだまだ一番遅れていることでありまして、輸出促進協議会をつくってみんなで考えようというのと、先ほど言いましたアドバイザーを使って重点市場を決めて、それで攻めていこうということですが、数年間はかかるのではないかと思っています。
 それから、加工をする。先ほどの「あせ寿司」もそうですが、加工によってまた違った展開ができるかもしれない。これの大きな見本は、和歌山の誇る南高梅の梅干しです。梅干しは普通はただの漬け物というような感じだったのですが、今や関係者の努力によって、南高梅の梅干しというと、一種の宝石みたいな感じで売れているわけです。これがモデルだと思います。材料はおいしいものが沢山あるわけですから、頑張っていきたいと思っております。
 この間、こういう話をテレビ和歌山のアナウンサーの人としましたら、神戸かどこかのレストランで、和歌山の安楽川の桃を材料として使っているぞとわざわざうたったフランス料理を出す店が出てきたそうです。こういうのをいっぱい増やしていけば、安楽川の桃といったら少し高くてもお金を出してくれる。そのようになっていければ、マーケットで買い叩かれて農家の人が泣くということはだんだん減ってくるはずです。そのためにいろんなことを考えないといけないのですが、これから頑張ろうということです。
 それで、農産物をどんどん売ろうと思っています。農産物のウエートは、当然のことながらもちろん紀北もありますが、紀南はそれに頼るところが大きいわけです。これが水産物も含めて売れてくれば紀南の人達の所得がもっと高くなって、人口も養えるのではないかと思います。
 その次に、紀南の重点は観光だと信じています。これについては八ページに資料があります。観光客は約三千万人ぐらい和歌山に来てくれています。ただ、道路が発達したというのは、良いところも悪いところもありまして、日帰りでピュッと来てピュッと帰るという人もいるわけです。あまりお金を落とさないというのもあります。したがって、和歌山にいかにして沢山来てもらうかはもちろん大事なのですが、快くお金を落としていただくという方策も考えないといけないと思います。
 それから、最近は外国人の観光客も大きいところです。平成十八年のデータですが、一二・六万人が来てくれています。特に大きなホテルに団体で来ます。昔、日本人も団体でワーッと来たのですが、今や団体客はアジアの国という感じで、アジアの人達がバスでドッと来て、和歌山城か何かにちょっと寄って、また走っていって白浜の温泉に泊まって、また走っていって那智の滝を見てというようなことが結構盛んになっています。こういうのももっと増やさないといけない。
 それから、外国人の中にはアジアだけではなくてヨーロッパもあります。ヨーロッパは、特にフランスは高野ブームです。これはもっと燃え上がらせてやるぞと思っていますが、ヨーロッパの人達は多分団体で楽しむより、個人で楽しむ要素の多い高野とか熊野古道とかお寺参りとか、それから山の生活とか清流とか、そういうものを愛してくれるはずだと思っています。したがって、こういうところも受入体制を整えまたPRしていかないといけないということです。
 和歌山にはものすごい観光資源がある。例えば白浜にはパンダが八頭います。八頭いるところは世界中で中国以外にないのです。世界中で約三十頭だと言われていまして、日本には十一頭です。十一頭のうちの八頭が白浜にいるわけです。
 それから、白浜のことばかり言っていますが、白浜温泉は東京人にとって二番目に近い温泉です。一番目は私は熱海だと思っていますが、箱根よりも白浜の方が時間的に近い。ましてや鬼怒川とか伊香保とかよりは、はるかに近いわけです。ところが、東京の人は「白浜ってどこにあったっけ。千葉県か」とか何とか言われてしまうわけで、これはなかなかつらいものがあります。したがって、南紀白浜空港があって、JALが飛んでいて、そこへ来るとこんなにきれいなところがあるんですよというのをもっとどんどんわかってもらう。また、消費者にわかってもらうだけではなくて、観光業者にもわかってもらってプロモーションをしてもらって、テレビにもどんどん売り出してムードを煽り立てるということがどうしても必要になってきます。
 それから、熊野古道についても、これからは高野山のようにちゃんと整備をしてやっていかないといけない。そうするともっとお客さんがじっくり来てくれるはずだと、外国人も含めて思っています。
 この間、某大企業の社長さんのところへ実は企業誘致の件で参りまして、あいさつをしながら和歌山ですと言ったら、「私は熊野古道が好きでね。二回ぐらい行きました」とおっしゃいました。二回ですから、もっと来て下さいという感じになりますがね。
 社長さんのおっしゃるには、歩きに行ったのですが、この山道、つまり熊野古道を歩き始めたら、どうもガイドブックによると四時間ぐらいかかると書いてある。その四時間たったときに私はどういう目に遭わされるのかということがわからない。したがって、不安でしようがない、というわけですね。
 つまり、例えば滝尻とかその辺から中辺路を歩き始める。そうすると、四~五時間かけると近露とかその辺に出てきます。出てきたときに、そこに宿があるのかとか、何時にバスがあるのかとか、タクシーを呼べるのかなとかわからないと、歩いていって山の中で一夜を過ごすなどというとんでもないことになる。汗をかいて山の緑の中をずっと歩いて、俗世のあかを流して、ぜいたくでなくてもいいからちゃんとした旅館に泊まって、水洗トイレを使い、きれいな浴衣を来て寝たいと、多分こう思っているはずなのです。このネットワークをつくらないといけないなと思うわけです。
 それから、大事なことは、熊野古道を歩きたいというお客さんと、それから海岸でキャピキャピ楽しみたいというお客さんは、私は違うと思っています。したがって、客層に応じて戦略を立てていかないといけない。みんな、十把一絡げに一緒にしてどうですかといったらだめです。したがって、何々を売り出すという方式で、それぞれの項目ごとに戦略を立てて、具体的な行動をとっていこうということが九ページ以降に出ております。
 世界遺産をこういう形で売り出す。温泉で売り出す。それから「ほんまもん体験/田舎暮らし」で売り出す。これは和歌山県の政策の中では大ヒットしております。この和歌山県のやっている「ほんまもん体験/田舎暮らし」のお客さんは、実は昨年二十六万人おりました。二十六万人というのはものすごい数で、どうするかというと、各地から色々材料を出してもらって、うちの町でこういう体験ができますよ、例えばアユつかみとか、カヌーとか色々できますよというのをパンフレットにするわけです。麦わら帽子をかぶった漫画のおじさんが表紙に出ていますが、毎年そのパンフレットを更新していきます。それをいろんなところへ配って、消費者、観光客の人がパンフレットに載っているメニューを選ぶわけです。選んで連絡をして、人数がそろったところで来てもらう。あとは来たよという話を県にしてもらう、こんな感じになっています。
 それが昨年は二十六万人来ました。これはすごいなと思うのですが、和歌山の何となくアットホームでいろんなものが融合している雰囲気が受けているのではないでしょうか。この結果、体験観光に来てくれて、その後Iターンで和歌山に来てくれたという人にも随分沢山お目にかかることができるようになりました。こういう流れを大事にしていくのはいいことではないかと思っています。
 それから、神坂先生がいらっしゃいますが、「歴史・浪漫で売り出す」。"神坂語り部"を押し立てて歴史・浪漫で売り出していきたいということもあります。
 それから、四季折々の魅力ということで、沢山の祭りとかイベントがあります。そういうのをどんどん売っていこうと。和歌山市がこの間からずっと、花火大会以来三つビッグイベントをやりました。これなんかも、ひょっとしたらお客さんがもっとよそから来てくれるイベントになっていくのではないか。花火大会もすばらしかったと思いますし、「ぶんだら」もそうですし、紀州よさこい祭りもものすごく立派だったと思います。これをどんどん売っていくことが必要ではないかと思います。
 それから、食の魅力です。JRが「クエ食え食え」と結構売ってくれていますが、そのような話を意識してPRしていくことが大事で、沢山の潜在的なものがありますから、これから頑張ろうということです。
 それから、自然の素晴らしさ。これは一番に来るべき話なのかもしれませんが、大事です。
 それから、ブランドを売り出すということで、観光と一緒になってブランド品を組み合わせてやっていこうではないかということです。
 最後のブランドにつきましては、実は今まで優良土産品というレッテル、和歌山県の「ワ」のマークを貼った土産物を売り出していました。ところが、これはひょっとしたら和歌山県でつくられたものではないなというものまで結構貼っていたわけです。これでは県内の産品の振興にもならないし、例えば地元の誇るものといったって、表紙は地元らしく包装はしてあるかもしれませんが、中は別に地元と関係ないものを売っているというようなお土産物はよく全国にありますが、あんなものまで貼ることはないわけですね。
 一方、例えば特定の企業の名前を挙げることになりますが、サントリープレミアムモルツというのをテレビで宣伝しています。モンドセレクション三年連続最高金賞、どうだと言ってやっているわけです。関経連でこの間お話をさせてもらった時に、「どうだと言いますがね、和歌山のお酒には十九年連続最高金賞ってあるんですよ」とか何か言ったら、「それでは置いてやるよ」と言って、伊丹空港に酒の名品販売所がありますが、そこで十九年連続受賞の「羅生門・龍寿」を置いてくれることになりました。
 そのようにものすごく良いものがあるのですが、必ずしも最大に売り出してもうけているとは思えないものがあるので、どんどん売っていけばいい。しかも、それを集合の効果で共通のレッテルを貼ってやっていけば、一つの名声によってほかのものまで引っ張られるということではないかと思います。したがって、今優良土産品の改定について、どういう基準で、どういうレッテルを貼っていって、どういう運用をしていこうかということを、農林水産部と観光部隊が必死になって考えております。
 それから、「和歌山へ招く」とかというので、首都圏から、近畿圏から、海外からと、ずうっとあります。それから、「和歌山でもてなす」というのもあります。そういうことで観光プランをつくっていくのですが、この「招く」というのはどこかでPRをするという意味です。例えば、首都圏で新聞広告を出して、お金はかかりますが、和歌山を売り出そうとか、そういうことを色々やっていきたいと思っております。
 それから、観光産業プロジェクトマネジャーというのもありまして、これは和歌山県で常雇いにさせてもらいました。実は、どうやったらお客さんの心に触れてうまくいくかというようなことをアドバイスしてもらって、PRするときに、あるいは営業するときに、こちらでサービスするときに色々注意しておくべきこととか、それからPRするときのポイントとか、そういうことをどんどんアドバイスしてもらってやっていこうと思っております。現在は近畿日本ツーリストにいた近藤さんという方に来てもらってやっていこうとしています。
 それから、一つトピックス的なことを申し上げますと、修学旅行です。今、修学旅行をターゲットにして、猛烈に和歌山県を売り出そうとしていて、かなり成功しています。平成十九年は四校、二十年では、既に決まっているもので十一校あり、倍々で伸びていくと思います。子供達が来てくれるのは、和歌山らしい生活をしたいためです。したがって、お寺をぐるぐるっと回って終わりというのではなくて、例えば漁師町に民泊をするわけですが、串本町なんかはそれに呼応して、民泊で手を挙げてくれた人が随分出ています。そのときには漁師の家に泊まって一緒に同じものを食べて、それで「この魚、うまいだろ」と言ってボーンと肩をたたかれたり、ぼうっとしていたら、おかみさんに「早う寝ろ」とか何か言われる、こういう生活をしてみたいというのが現在のニーズなんです。これにあわせて修学旅行をどんどん売っていく。それで、いい思いを持って大人になったら、次は恋人を連れてきたり、奥さんを連れてきたり、ご主人を連れてきたり、家族連れで来たりする和歌山のリピーターになってくれるのではないか、そんなことも考えています。
 それで、大阪で修学旅行のプロモーションをやりましたが、結構盛況だったようで、そこですぐに商談もできました。それから、八月二十二日に東京でも同じものをやりまして、学校関係者や旅行会社など百二十名が聞きに来てくれました。もちろん全部来てくれるというわけではないかもしれませんが、かなり脈がある話だと思っております。
 それから、観光の次は道路です。これがやっぱり紀南の方が苦戦をしている最大の原因ではないかと私は思っています。したがって、この話をさせていただきます。
 まず、紀南の地域、十四ページの左の絵は熊野の地域です。少し見にくいのですが、人間がうじゃうじゃ歩いております。うじゃうじゃ歩いて、京や、あるいは近世になりますと江戸や全国から熊野の地域に人間が来たということで、「蟻の熊野詣」という言葉も残っております。ここは最大のレジャー基地であるとともに、この右の地図でご説明しますが、海運が日本の中心であった時代には、周りは海運の根拠地として日本の中では他に遜色のない地域、むしろ栄えていた地域であったのではないかと思います。必ずしももうけている人の話ではありませんが、神坂先生の「漂民ダンケッチの生涯」のお話にあります。あのときはいつも嵐にやられるわけですが、やられないでスッとうまくいっている場合もあるわけですから、こういう航路が和歌山の繁栄を支えていたということではないかと思います。
 その次に時代が変わりまして、鉄道になりました。鉄道も苦労しましたが、海沿いの条件の悪いところを苦労して貫通させてもらいまして、何年か忘れましたが、紀伊半島一周の紀勢線がきちんとできております。この時代まで和歌山県の、特に紀南の人口はそんなに顕著に減ったということではないのです。
 ところが、その後高速道路の時代になりました。高速道路の時代になったときに和歌山ももっと熱心に推進すべきだったと私は思います。聞くところによると、むしろ自分のところをパスされるから反対とか、あるいはみかんに害が出るから反対とか、そういう声が結構強かったようですが、そうしてドタバタしているうちに、高速道路をつくろうという時代、それから不況対策を公共事業でやろうという時代、いずれもものすごいチャンスであったわけですが、逸しております。
 今やどういう時代になったかというと、高速道路などもう要らん、道路特会はやめだ、一般財源に繰り入れて国の財政を救えと、こういう時代になっているわけです。そのときに、これは大変と言って今ここに我々がいるわけで、これはものすごい大変なのですが、実は十五ページの右のオレンジの丸で囲まれた一番ひどそうなところに紀南地域はあります。
 三重県は結構頑張っています。地図で三重県のところが大きくオレンジの中に囲まれていますが、実は熊野まで次の伊勢遷宮までに絶対やるぞといって、三重県のここ二代の知事が決意して、高速道路をつくっています。あと数年たつと和歌山県と三重県は明らかに逆転して、三重県は新宮と熊野の間であと少し残るだけということになりますが、和歌山は実はその新宮からすさみ・田辺の間は遅れています。田辺からすさみまでは事業化されておりますが、まだまだ時間がかかります。すさみからもう少し先は、事業化の目途が立っていないという事態になっています。何とか紀伊半島一周の道路をつくらないと、やっぱり紀南の方はいろんな点でチャンスを逸するのではないかと思っております。
 一方、先ほど高速道路は要らないとかいう話がありましたが、和歌山県はどうだということをもう少し言いますと、実は高速道路の交通量は年々増加しています。それから、和歌山県の道路の改良率は全国ワースト二位。高速道路の充足率はワースト三位です。ワースト一位、二位は島根、鳥取なのです。さっきのオレンジの枠で囲まれていたところなのですが、あそこはよく見ると中国縦貫道から主要都市まで、ちゃんとした高速道路が来ているのです。だから、日本海の海岸べりは普通の国道でしか走れませんが、大阪に行くのはそんなに時間がかからないのです。ところが、和歌山の海南より南から大阪に早く行こうと思ったら、みなべから北の人は早く行こうと思ったら大体は行ける。だけど、日曜日の午後は全く行けない。それから、それより南の人とか紀ノ川筋の人はとても時間がかかることになって、これを何とかしないとどうしようもないなというので、それが十七ページになります。
 近畿自動車道紀勢線の早期整備と京奈和道路、それからもう一つは府県間道路です。後の二つは紀北の道路になりますが、大阪とつながっていない紀北を擁している紀南というのは発展の可能性はありません。したがって、紀北が頑張れば紀南も裨益をする。紀北が頑張るためには、大阪ともっとちゃんとつながらないといけないということで、府県間道路もつくっていかないといけないわけです。和歌山はけなげにもそういうことを考えていますから、遅れていますが、大阪府に比べれば進んでいるのです。ところが、大阪府はあんなところは地の果てだとどうも思っている節があって、それで財政不如意の中から特に阪南地域の公共事業はほとんど凍結しています。そうすると、その向こうにある和歌山はどうしてくれるのですかとなります。
 これは大阪だ、和歌山だという話ではないと私は思っています。大阪から考えても、例えば従業員がもっと関西の広いところで自由に選択して住めないと大阪の未来はないと思います。それから、ヒルズ族、これは東京ですが、こういう連中が例えば房総の海にも伊豆の海にも行けない、軽井沢にも高速道路で行けないとしたら、東京の生活はおもしろくないに決まっています。土、日曜日は連中も遊んでいるわけです。ところが、大阪はどうかというと、白浜へ行ったら帰りに渋滞でひどい目に遭ってしまうというわけです。もちろん白浜はすばらしいと思いますが、このような事態を放置しておいたら多分関西は発展しないと私は思います。
 だから、大阪の方に皆さんもおっしゃってください。大阪の小さいところでこぢんまりまとまらないで、和歌山なんかを子分だと思って、和歌山にも資源を回してあげることが、あるいは大阪の南の方で府県間道路なんかをどんどんつないであげることが大阪の発展のためになると、私はそう信じておりまして、そのように大阪にも申し上げております。
 太田房江知事とお会いしまして、そのような話をしましたら、平成二十年度から少し凍結を解除するので、そういう考え方をもとにして再考してまた頑張りますから、一緒にやりましょうというような話をいただいています。期待しておりますが、一緒に頑張っていかないと関西の未来も、大阪も和歌山も未来がないということではないかと思っています。大阪も和歌山も未来がなければ、紀南の未来ももちろんないわけです。
 それから、二十二ページにネットワーク関連道路と書いてあります。これは何かというと、青いところがそうです。高速道路は今のように頑張るのですが、なかなか時間がかかる。あまり言いたくありませんが、かなりの無理を押して工事をしても多分二十年ぐらいかかるかもしれない。そういうことで、その間も我々は生き延びないといけない。新宮までまともに行けないとすれば生き延びることはできないと思うのです。したがって、資源は重点的に投入して行こうと思っています。この青の道路が結構よく整備されていて、制限速度が概ね六十キロでスムーズに走行できますが、図の赤いところが少しネックになっていますので、この赤いところを直してスパッと通るようにすればかなり紀南の方に紀北から早く行ける。そうすると、高速道路が渋滞のときに、本当の意味でのバイパスになります。こういうことを今考えて、これだけは五年で絶対にやってしまおうと思っております。
 そのほかは選択と集中です。県もお金があまりありませんので、今のままでいくと二年足らずぐらいで実は赤字というか、タコが自分の足を食べるような状態になります。そうすると、今のご時世ですから、夕張はレッドカードですが、イエローカードぐらい突きつけられることになって大変なことになります。今のところは大丈夫ですが、二年ぐらいしかもちません。その二年を長くもたせながら、いろんなことをいっぱいやらないといけないというのが今の話です。
 それから、一人当たりの公共事業費の推移を紀北と紀南に分けて考えてみました。あまり有意の差はないことがわかりました。ただ、これによって例えば紀南に来るお金が少ないからけしからんとか、そういうことをあまり言ってもしようがない。むしろ、今全体として県は何をしてくれているのだろうかということを広い視野で紀南の方も見ていただき、紀北の方も紀北のこんな狭いところに押し込められたら和歌山県の魅力はないわけですから、そういうことを考えながら、和歌山全体の魅力が高まるようにちゃんとやっているかどうかということを、個々具体的に見ておいていただければと思います。
 それから、次に医師です。これはおもしろい資料を持ってきました。最後の二十四ページです。十万人当たりの医師数を見ますと、和歌山県全体の医師数は実は二百三十六人でありまして、全国は二百一人ですから、和歌山県は医者に恵まれている地域だと考えたらよろしいかと思います。全国的にはそう思われていましたし、思われがちです。
 ところが、もっと見ていただきますと、和歌山市にその多くの方が集中しているわけで、全国平均を上回っているのは他に御坊地域のみということです。それから、小児科、産婦人科、特にこの二つが足りないのですが、同じような傾向にあります。
 では、和歌山は悠々だし、県全体もまあまあだからいいかというとそうではなくて、その次に拠点病院、公的病院の医師不足で、四百七十人ぐらい必要とするところが八十人も足りなくなってあっぷあっぷしているという状態になっています。私はここへ来る前は実態を知りませんでした。過疎の地で働くお医者さんは大変だな、無医村になったら大変だなと思っていました。ところが、実態はそんな甘いものではありませんで、それならば拠点病院で支えればいいやと思っていたのですが、その拠点病院が崩壊寸前です。
 なぜならば、昔は和歌山県の各都市には大型の拠点病院があって、これが地域をずっと支えてくれていたわけです。たまには診療に行ったり、あるいは大事な病気のときにはそこへ来てもらって診療するということになっていたのですが、お医者さんが不足して困っています。例えば七人の内科医がいても、公的病院のお医者さんは大変です。役人も結構残業が多くて大変なときがありましたが、お医者さんはもっと大変で、しかも手術なんかされる人は人の命がかかっていますので神経を要します。したがって、気が抜けません。すごく疲れます。ストレスがたまります。それで、一人、二人とやめます。やめて開業したりするわけです。あるいは民間病院に行かれます。
 そうすると、今まで七人いたお医者さんが五人ぐらいになる。四人になりそうだ。七人いてもあれだけ大変だったのを四人でやるとなると、もう死にそうだと。それなら私はほかの人生もあるよなということで、一斉にやめたりするわけです。もう全員でやめようかとなると、病院が崩壊するわけです。産科とか小児科とか麻酔科でそれが全国的に起こっているのですが、和歌山県に関しては実は内科でも起こっております。したがって、これは放置しておいたら大変な問題になります。
 では、なぜ昔は起こらなかったかといいますと、駒井学長がいらっしゃったころは、医局がすごい力があった。それで、その医局の先生が自分のかわいい弟子に、しばらくあそこにいるかというようなことで、むしろ拠点病院へ押し込んでいた感じがある。したがって、和歌山の各拠点病院は、和医大のほか阪大系とか京大系とか関西医大とか奈良県立医大とか、それが少しずつモザイク状に自分で拠点をつくっていた。需給はどちらかというと、医局の方が押し込んでいたわけです。
 ところが、新しい医師臨床研修制度というのができました。同時に、医局は京大のような病院では今まで定員の何倍も採っていたのが、確保が難しくなりました。そうすると京大のようなところでも少ないし、ましてや和医大のようなところは医局の人を確保するのがすごく難しくなってきました。和医大はまだ頑張ってくれています。入学定員六十人に対して今年は五十四人だそうです。これは地方の大学では希有のいい成績です。
 そうすると、みんな大変ですから、例えば京大病院は自分のところから拠点病院へ派遣していたのをもう帰ってこいと言う、阪大病院も帰ってこいと言う。そうすると拠点病院の医師の体制に穴があいてしまいます。それで、和歌山県立医大の今の学長さんなんかは、それを必死になって支えてくれているわけです。ところが、それも限度があります。なぜならば六十人しか定員がないわけですから、六十人のうちの歩留りを考えて残して、それで研修医として育てて医局に残して、それで行けと言う。あまり行けと言い過ぎると、おれ達は酷使されるような、そんなところへ行くのは嫌だ、もっと楽なところへ行きたいとみんな思うものですから、そういうことになって県立医大が崩壊する可能性があります。
 したがって、これはいかんというので、どのようにするかというと、特別枠として二十人定員を増やします。増やした分は一人前になっても十年間だけは拠点病院に行くことを約束してくださいということにします。十年たって、つまり四十になって開業する、それは自由ですと。だけど、一人前になってから十年間だけは拠点病院に行って、和歌山県のために尽くしてくださいと。それを約束していただけるなら、和医大の定員を少し増やして、特別枠として採ってさし上げますと、こういう約束をしようかなと思っております。
 これを考え出しまして提案をいたしました。そうしたら、これが大変で、何と日本は平成九年に閣議決定をしておりまして、閣議決定でお医者さんの数を増やしてはいけないことになっています。一人たりとも医学部の定員を増やしてはいかんとなっているわけです。なぜならば、お医者さんが増えると余計な医療をやって、医療費が増えて、国の財政がひっくり返る。だから断固だめということになっています。
 それで、あまりにもひどいというので、東北地方なんかの人が騒ぎまして、平成十八年に、改めて、お医者さんの数の少ない十県につき十人の定員増を認めるという新医師確保総合対策が打ち出されています。和歌山県は見事にそこから落ちております。開業医が多いものですから客観的には難しいのですが、多分去年は私みたいな人が騒がなかったのでしょう。それで今回私が和歌山は死んでしまうと言って大いに騒ぎました。そうしたら突如として全国的にボカーンと火がつきまして、国全体で大騒ぎになりまして、和歌山県のような六十人という少ない定員を持っている県は二十人余計に認めてあげるということになりました。他の県を見ると、最低の単位が八十なんです。島根県や鳥取県のような和歌山県よりも人口のずっと少ない県でも八十人とか百人の医学部の学生を養成しているわけです。和歌山県はかわいそうだというので二十人に限り認めてあげようということになり、その二十人は先程申し上げたように養成します。
 それから、もう火がついて、全国で同じような問題が起こっているわけですから、全国一律、一県につき五人をさらに認めるということになっています。だから、他県は五人、和歌山県は二十五人認めてくれるわけです。それで、来年からそういう特別な入試をするわけですが、この五人については条件がついていまして、特に優遇しなさいということになっているので、今の構想ですが、これは地域医療枠にして、そのかわり奨学金を差し上げて僻地というか、特に人口の少ないところに行ってもらう。そういうことも覚悟してくれ、そのかわり志願したら奨学金まで差し上げましょうと、こういうことをしていこうかなと思っています。二十人については入試に受かるというだけであって、奨学金制度はありません。
 ただ、こうやっていっても養成まで八年もかかるわけです。六年間でお医者さんの免許をとり、二年間の研修医を経て、初めて動員できる。だから八年間食いつながないといけないということでして、このために例えば新宮では「今そこにある危機」として産婦人科が消滅しそうになりました。それを国のあっせんで大分の人を新宮に来てもらって、何とか新宮を救ったわけです。また次に何か起こるかもしれません。この八年間はそういうことで暮らしていかないといけないのです。
 一部県内の人で各地に散っている人に、この少ない小児科、産婦人科、麻酔科について県内でやっていただけるのなら奨学金を差し上げますから帰ってきてくださいというようなことでPRしたり、それからドクターバンクに登録しておいてもらって、ちょっと空気のいいところでお医者さんをしませんかとか、そういうありとあらゆることをやりながら生き延びを図っていかないといけません。例えば新宮で現にあったように、新宮では実は十月から分娩休止だったのですが、新宮市は対応が非常に困難な状況でした。私達もいろいろな手立てを考えてやっていたのですが、国が支援すると言ってくださったので、国・県一緒になって新宮の産科の崩壊をとめました。だけど、こういう努力をずっとやっていくことが和歌山県に課せられた宿命みたいになっております。
 こういうことを特に必要とするところは、紀南ですので、あえて言うと紀南の方々の健康のためにこの医師政策をやっていると言ってもいいかなと思いますので、あえて特に紀南に効く政策というものを最後に掲げさせていただきました。
 以上でございます。ご静聴ありがとうございました。

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